牛にも漢方医学がある。

 「漢方医学」は、漢という字が入っている通り『中国医学を基に日本で発展した伝統医学』であり、陰陽五行・経穴・経路といった中国思想から派生した『三陰三陽六気』という理論を基盤として、漢方薬・指圧・鍼灸を行う医療体系となっています。5・6世紀頃に中国・朝鮮を経て日本に伝来して以来、其々の時代の最新の漢方医学が僧医によって導入・洗練され、16世紀末の室町時代には発展、庶民の間で普及していきました。

 

 漢方医学の発展および普及するという風潮は、当時から使役動物として存在する牛馬の疾患を治癒する獣医術にも大きな影響を与え、『漢方系獣医術』として形態化してゆきました。漢方獣医術も人の漢方医学と同じく、中国・朝鮮系で誕生した医術であり、基本理論(三陰三陽六気)もまた同様になっています。
 江戸時代になると、使役として牛馬を利用する庶民・伯楽(獣医)向けのために、ひらなが・カナ文字で書かれた牛馬に関しての医学ハンドブックが多数出版されており、馬の漢方医学書では「良薬馬療弁解」(1759年出版)という書物が出版され、その中では、漢方医学の基本である鍼灸・漢方薬による馬の治療法が記載されています。

 

 使役牛についての漢方医学書(治療ハンドブック)も出版されています。1720年には伯楽のハンドブックとして漢方治療を示した「牛科撮要」・同時期には『牛書』が成立され、1756年には、先の2書が更に洗練され、牛へ対しての鍼灸施術方法が加味された枕本(横16cmの小型本)・「牛療治調法記」が成立しています。

 

 今回の記事では、牛の漢方医学のハンドブック・『牛書』について少し紹介させて頂きます。

牛の漢方医学書・『牛書』とは?

 「牛書」は、牛の様々な病気を1〜37の番付を中心にして掲載し、漢方薬(生薬)の投与・鍼灸による漢方治療法を明示したハンドブックになります。他にも本書の紹介(序文)・牛の心拍数・脈の診方も記されています。余談ですが、江戸時代の人々は、日本各地の食べ物(特産品)や大名の格付けをするなど番付が大好きでしたが、牛の疾患も番付にしているのが、牛書を観てもその気風がわかります。

 

 牛書の紹介に戻りますが、著作者は不明で、1744年、播州(現:兵庫県)在住の山本秀實という人物によって写し取られた牛書が、財団法人武田科学振興財団杏雨書屋によって保管されているので、やはり1720年に成立された「牛療治調法記」と同時期に牛書が発刊されたと考えられます。もとは中国本の牛医学書・「牛経大全」を手本としていましたが、伯楽たちの診療経験などを踏まえられ、実用書として形成されていったと言われています。

 

 牛書内に掲載されている病気の番付1〜37では、各々の病気名・症状、そして治療と対処方法(漢方薬処方・鍼灸部分)が、牛のイラスト付きで事細かく記されており、特に治療針を打つ方法が記されている項では、牛とその内臓器官(肝臓は黒肝、小腸は百尋、脾臓は脾ノザウと記載)が描かれており、針を打つ部分(経穴)と針を打つ深さも解説されています。また漢方学らしく、第一に「見立て(診断・診察」を最重要視とし、鍼灸や漢方薬を牛に施す事によって牛が本来所持している強い治癒力を高め、疾患を克服するのを目的とする事も牛書から読み取れます。

 

 漢方薬処処方箋の詳細さにも驚きを覚えます。1番に記載されている病気は「牛の風邪(風ヒク牛之図)」ですが、その折の症状は、牛体を震わせ尻尾を足の間に挟み込み、時々しゃっくりをする、黄色い膜のようなものが口内にあり、手を当てて診てもそこに熱感が無い等々が細かく記された後、治療法として排毒剤を投与する事と、その生薬処方が記されています。それは「大人参・小人参・独活(共にウゴキ科、甘草(マメ科・カンゾウ)、前胡・紫胡(セリ科)、枳穀(キコク・ミカン科の果実を乾燥させた物)を用いる」と、漢方学に精通している人物が少ない現代人には馴染みの全くない生薬が登場してきます。また牛が風邪によって腹部が鼓張する場合や身体に冷感がある場合の生薬処方も、全て1番内に明記されています。

 

 以上の様に、1番・「牛の風邪」を1つ例に挙げてみても、これ程細かく症状・漢方薬処方が記されている事がお分かり頂けたと思います。江戸時代の獣医学を含める医学というのは、どうも迷信的であるイメージが付き纏いがちですが、それは間違いです。牛書を見る限り、当時の人々の医療知識の深さや技術の高さに感嘆させられます。

 

残りの2番〜37番の病気・その対処方法も紹介したいのですが、全部紹介してしまうと際限が無くなってしまうので、機会があれば次回より筆者が興味を持った番付を2個ほど紹介させて頂きたいと思っております。

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