全ての動物診療に必要な道具・聴診器
『獣医師とは、人間以外の動物を診療する医師である』という事を前回申し上げましたが、今回はその獣医師、牛などを診療する産業獣医師が普段の診察や治療に利用する道具の一部を、「7つの道具」と冠し紹介してゆきたいと思います。以下の紹介の中の一部では、我々が病院に行った際に直に見たことがある道具、あるいは医療ドラマなどのテレビ番組などで間接的に見た物も登場してきますが、その一方、獣医師しか使わない道具もありますので、それも紹介させて頂きます。
@聴診器
19世紀中頃にフランス医師・ルネ・ラエンネック(1781〜1821)によって発明された診察道具の聴診器(英名:stethoscope=胸の検査)は、最早、医者という職業を象徴するシンボルとなっている昨今では、皆様も1回は必ず見た事があると思います。我々が体調不良の折に、病院の先生方が診察をして下さる際に必ず使いますね。先ずこれがなければ、どんな優秀な医者様でも診察は出来ないのではないでしょう。この事は、牛馬を相手に診療をする獣医も同様であり、絶対必要不可欠な道具の1つです。牛たちが体調不良の場合は、やはり先ず聴診器を使い診察を行います。肝心の機器を主に宛てる臓器箇所が、人間と違っている事が面白いです。
人間を診察する先生は、患者さんの心臓・肺を中心に1つ1つを丹念に聴診器で診察しますが、牛を診察する獣医の場合は、腹部(胃袋)を中心に聴診器で診察をします。牛の体調不良の場合、その原因が胃腸関連の病気が多いという事もありますが、何よりも胃(第1胃)の働きで、その折の牛の体調が判り易いので、腹部を中心に診察します。
また目珍しいのは腹部の診察方法です。しばしば獣医が牛の腹部に聴診器を宛てながら、指で腹部の広範囲を強く突く、俗に言うデコピンをしますが、その様に皮膚の上から刺激する事によって、現時点での胃の動き(反応)がより判別しやすいからです。
健康の測定機・体温計
A体温計
周知の如く、我々人間も風邪をひく等の体調不良をきたした場合は、体温(熱)が上昇します。この理も牛や馬・羊に共通しています。今更筆者が言うまでもなく、動物の体温は健康の基本パロメーターです。高すぎても低すぎても駄目で、動物各々の中間(平熱)が程良いのが最良です。
体温計を人間が使う場合(赤ん坊は除きますが)は、頭痛や熱っぽさ等の其々の自己感覚や判断に基づき、体温計で体温を計りますが、牛などの動物の場合は、主に食欲の減退によって体調不良が判明するので、その時、体温計を利用します。そして、その時は大抵、乳房炎による発熱症状が多いです。当然の如く、牛と人間、お互いに正確に会話する能力を持ち合わせていないので、人間側が、牛の食欲減退などの細やかや変化を読み取り、彼らの体調不良を悟るしか方法がないのです。そのためにも日々の牛の健康や生理状態(仕草・食欲や排泄等々)をチェックしておく事が大切になってきます。
筆者が幼少期の体温計は水銀計のみであり、体温測定には約3分の時間を要しましたが、現在ではデジタル型が主流となり、中には測定所要時間も僅か3秒という超短時間で結果が出るという俊逸な体温計があります。牛の体温計にもデジタル型体温計が開発され広まりつつあるようですが、未だ水銀計が主流を占めています。水銀系の方がデジタル型に比べると安価である事が大きな原因になっていると思われます。些か大袈裟な表現ですが、牛の体温計事情は、1980年代の人間専用体温計の事情と類以しています。
(牛馬や羊専用の体温計)
*牛馬・羊、犬もそうですが、体温を計る場合は、肛門から機器を挿入し測定します。拠って動物が肛門の異物(体温計)を押し出そうとする事があり(やはり異物を肛門に挿入されるのは嫌のようです)、実際それが起こった場合に体温計が地面に堕ちて破損しないように、体温計の尻端に、ひも付きクリップがついていて、その部分を牛や馬の尾に装着できるようになっています。体温計にひも付きクリップが付いていのは、動物専用体計特有のものですね。
妊娠鑑定の超音波(エコー)機
B妊娠の有無を確認する際に利用する超音波機
(牛の妊娠の有無を確認する超音波機)
人間の世界でも、妊婦さんが産婦人科へ行き、腹部に超音波(エコー)機を当てて、胎児の様子を定期的に観察すると思います。直に観られていない方でもテレビドラマやCMで、そのシーンを見られた事がある方は多くいらっしゃると思います。
牛の世界でも、種付けをした雌牛の妊娠の有無を確認するための検査・妊娠鑑定の際に、超音波機を利用する場合がよくあります。鑑定の際、獣医師が自分の手を直に牛の陰部から子宮内へ挿入し確認するというワイルドな手法もあるにはあるのですが、それでは妊娠の有無が判り辛い事があるので、超音波機を使った方がより確実に鑑定できます。ただ人間検査方法と唯一違う点は、検査コードを直に子宮内に挿入し検査する事です。これもまた人間の感覚で考えると誠に粗い方法であります。
注射器
C注射器
1853年(日本では江戸幕末時代)にフランス人医師とスコットランド人医師によって注射器が発明されて以来、現在でも人間の世界では、採血検査や予防接種などでお馴染の医療器具の1つであり、医者や病院というより全医学界のシンボルとなっていると言っても過言ではないと思います。
獣医界でも聴診器と並んで注射器は、必携医療器具の1つとなります。牛の抗生物質治療や白血病やヨーネ病などの血液検査の折は勿論の事、母牛が仔牛分娩後の乳熱(低カルシウム症)のカルシウム剤を投与する際は、注射器で行います。
我々も治療や採血の折には注射器を腕に刺され、痛い思いをしますが、それも牛や馬でも同様の様であり、注射針を刺した際(牛や馬は首の脈に刺す場合が多いです)は、顔を上げて一瞬悶えてしまいます。因みに獣医が使う注射器およびその針は、一応動物専用として開発・販売されていますが、その開発元は、人間の医療器具開発でも有名なニプロ株式会社(本社:大阪府大阪市)となっています。筆者の様な医学の素人から見ると動物用と人間用の注射器の違いは判りかねています。
膣鏡という道具
D膣鏡
(膣鏡の一例。画像転用元:ウィキメディア・コモンズ)
あまり聴き慣れない医療器具名かもしれませんが、膣鏡(ちつきょう)と言います。クスコ(膣鏡の1種)という名前での方が有名かもしれません。余談ですが、山田洋次監督の映画「男はつらいよ・知床慕情(第38作目)」で、主人公の寅さんが産業獣医師・上野順吉(演:三船敏郎)の車の後部座席に乗せてもらった際に、膣鏡を取り上げて、物珍しげに見ているシーンがあります。
この器具は、産婦人科などで妊婦さんの膣内や産道を診る際に、膣に挿入して陰部を開口させる役割を担っています。雌牛の産道を診る際にもよく利用されますが、他にもケトン体検査に必要な尿水を強制的に出す際にも膣鏡が使われます。
牛の起立補助器・カウリフト
Eカウリフト
これは牛に対してのみに利用する器具の1つです。カウリフトとは通称で、別名で胴締器ともダウナーハンガー等と呼ばれる場合もあります。乳熱(ダウナー症候群)などの病気を起因で起立不可となった牛の巨体を吊り上げて、起立の補助をする際に利用されます。たとえそれで牛が未だ起立が可能でなくても、寝返りの補助や姿勢の変化を行う事によって、腹部や脚への負担軽減に役立ちます。
頑丈な天井の上からチェーンブロックを吊り下げておき、カウリフトを牛体の両腰骨に装着した上で、チチェーンブロックで吊り上げます
牛の分娩補助器具・産科チェーンと産科ハンドル
F産科ベルト(チェーン)・産科ハンドル
母牛が仔牛を分娩させる場合は、自力で産ませる自然分娩が、母体と胎児に掛る負荷が少ないために一番良いとされています。しかし人間の分娩でも逆子や胎児肥大による難産がある様に、牛の分娩でも難産が時々あったりします。その時に重宝するのが、分娩補助器具の1つである産科ベルト・産科ハンドルの1セット器具になります。
ベルトを産道に停滞している仔牛の肢に順序正しく括り付けて、ベルトにハンドルを取り付けて、母牛が力み踏ん張ると同時に仔牛を外へと引っ張り出します。また体力消耗し、自力で仔牛を産出不可能となった母牛がいた際に、仔牛を強制的に引っ張り出す際もベルトを使います。
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