乳牛世界の現実

 前回の記事「牛乳ができるまで」でも少し述べており、重複して恐れ入りますが、母牛が仔牛を産まなければ牛乳は出ません。拠って乳牛が生きてゆくには、仔牛を産むことが絶対不可欠条件であります。その条件を達成して、漸く乳牛として生き続けることが出来るのです。もし条件クリア出来ない乳牛は、早々に食肉出荷される道しか残っていません。非常に生々しく厳しい世界であることを実感せざるおえないですが、これが乳牛(経済動物)の世界です。
 前回は牛乳の生産について重点的に紹介しましたので、今回は、乳牛の誕生〜仔牛分娩までのライフサイクルについて紹介してゆきたいと思います。

成牛に種付けをする

*お願い:筆者は、ジャージー牛を飼育していた経験が圧倒的に多いので、ジャージー種を例に挙げて紹介させて頂きます。ホルスタイン種などの他種に比べ、体重や日数の数値が変動しています。その旨ご了承下さいませ。 

 

 

乳牛の成長は、とても早いです。


@誕生直後で既に最低15kg以上の体重があり、誕生当日、遅くて翌日には自力で起立できるようになります。約2日後には、補助なしで歩行可能であり、生誕7日後には微量でありますが、牧草などの固形飼料を口に入れ食べ始めるようになり、生後1ヶ月以内には、胃が大きく発達するので、難なく様々な飼料を食べるようになります。

 

A約生後3ヶ月まで、母乳や仔牛用脱脂粉乳を毎日2回飲ませ続けますが、生後1ヶ月〜2ヶ月には、1回につき1.5L〜2L飲ませます。粉乳の作り方や与える分量を間違えたりすると、下痢をしてしまうので、飼育者は注意して仔牛にミルクを与えています。仔牛には下痢は大敵であり、重症の場合ですと脱水症状となり死に至る場合もあります。
 生後3ヶ月時で、仔牛の体重は約60kgになります。

 

B生後3ヶ月で離乳して、その後は牧草・固形飼料(穀物系)を与え続けて飼育していきます。この時期から妊娠するまでの期間を『育成期間』と呼んでいます。この期間は、正に育ち盛りで、食べて食べまくる食欲旺盛な時期になります。そして約生後6ヶ月には、体重は100kg以上となり、順調に成長していけば、生後12ヶ月には体重は200〜250kgになります。
 生後12ヶ月の乳牛を、人間の年齢に例えると13歳〜15歳の青春期になるかもしれません。

 

C満生後12ヶ月以上になり、その乳牛に発情(heating)が来たら、授精(通称:種付け)を開始します。種付け適齢期は、12ヶ月〜14ヶ月となります。発情が来なければ受精は出来ませんので、出来る限り早く、乳牛に種付けを行い妊娠、そして分娩してもらい、牛乳(利益・売上)を得た方が当然良いので、乳牛の発情の機を見逃さないことが、酪農家さん達の重要な役割の一つとなっています。
 授精方法として、『自然交配』と『人工授精』があります。

 

自然交配は、文字通り、種雄牛と発情雌牛を交配させて受精させる方法です。交配の利点としては、人工授精より受精確率が高いという利点があります。
人工授精というのは、こちらも文字通り、受精師さんという職業の方々に、道具を使って人工的に授精してもらう方法であり、色々な面で厄介な種雄牛を飼育しなくても、安易に種付けを出来る利点があります。

 

 自然交配は、主に米国や西欧諸国の多くの大規模牧場などが活用しています。主に何百頭という雌乳牛に対して、種雄牛2・3頭を揃えているケースが多く見受けられます。日本の酪農家の場合は、自然交配を採用しているのはとても少ないです。第一の理由としては、牧場・酪農家の規模の違いがあると思われます。先の諸外国は、牧場一戸当たりの乳牛の飼育頭数が多く、細々と人工受精していると逆に大変なので、雌牛大集団の中に雄牛を1頭放牧しておき受精させるの方がより合理的です。対して日本の場合は、数十頭の乳牛飼育の小中規模農家が主流なので、わざわざ雄牛を飼育する程でもないのが現状でしょう。
 更に種雄牛は、(当然ですが)、雌牛に比べると、それ以上に巨体であり、性格は獰猛であり飼育するのは非常に大変です。皆様も過去に、外国のニュースで、人が雄牛に蹴られ死亡したという事故をお聞きになったことがあるかもしれませんが、種雄牛の凶暴さを物語っています。
 繰り返しますが、日本では牧場の規模の違い、種雄牛の飼育の難しさなどの理由があり、乳牛の授精には、主に人工授精が行われております。

 

 授精した1ヶ月後に、獣医師が検診を行い受精結果の良否がわかりますので、その検査でプラス結果(受精)であれば、乳牛は妊娠となり、いよいよ分娩に備えます。乳牛の妊娠期間は約9ヶ月〜10ヶ月であり、人間とほぼ同じ期間となっています

乳牛の分娩

D生後13ヶ月頃に、種付けが成功(妊娠)すると、約生後20ヶ月(1年8ヶ月)で仔牛を分娩する予定となります。その時には、既に成牛として成長しており、体重は400kg近くあります。妊娠期間中は、牛の体重をバランス良くするため、飼料管理、特に穀物系の配分には、酪農家さんは気を遣っています。
 分娩予定日1ヶ月前位になると、徐々に母牛の乳房が張ってきます。そして予定日約1週間前になると、更に乳房が張るようになり、陰口部も膨らみ始め柔らかくなり、皺が寄り始めて、粘液が時々出始めます。

 

 分娩当日に陣痛が始まると、食欲が落ち、母牛は落ち着きが無くなり、起立・寝転び(通称:横臥=オウガ)を交互に繰り返し、排泄・排尿を行う仕草に似た、踏ん張り行動を見せるようになります。この行動期間を「開口(子宮口)期の陣痛」と呼ばれています。この陣痛では、乳牛の尻尾も同時に上がりますので、非常に判り易いです。筆者は、尻尾の上げ下げの頻度(陣痛の強弱)を観て、分娩の時間を測ったりしました。他の酪農家さん達も同じだと思います。
 正常に陣痛が強くなると、第一次破水があり、陰部の口が開き始め、普通なら胎盤に包まれた(破けてる場合もあります)仔牛の前脚が見え始めてきます。この陣痛を「産出期の陣痛」と呼ばれています。人間の正常分娩の場合は、頭部から誕生し、足からだと逆子と判断されますが、仔牛の場合は、前脚からの誕生が正常分娩となり、尻部から出てくるのは逆子となります

 

 胎盤が破裂すると、第二破水となり、仔牛の前脚が、しっかりと見ることができます。勿論、この間でも母牛は、陣痛と苦闘しており、我が仔を無事を産み出すため踏ん張り行動を続けております。時折テレビで牛の分娩シーンで、総出で、仔牛を引っ張り出す助産場面を見かけますが、この方法は飽くまで緊急手段であり、普段は母牛の自力で産んでもらう、自然分娩が一番良い方法なのです。中国思想の一つの孟子の出典で、ある農家が、自分が育てている苗を、早く成長させたいが為に、苗を無理に引っ張り上げ、全部枯らしてしまう(本当の助長の意味)場面が載っていますが、乳牛の分娩にも同じ事が言え、無理に引っ張ると、母牛の子宮内を痛めたり、体力を余計に消耗し、産後に悪影響を及ぼす事になりますので、敢えて手は貸しません。

 

 前脚の次は、頭部が陰部口から出てきます。この世の中のお母様方々は、身を以ってご存知だと思いますが、この時が、母牛にとっては一番辛い時間であります。やはり乳牛もこの時は、堪らず慟哭することが多いです。無事に仔牛の頭部が出ると、後は首・胴部・後脚の順で出てきますが、これらの部分は比較的に容易に出てきます。こうして仔牛が誕生します。因みに臍の緒(臍帯)は、人間と違って、誕生した折には、母牛と切れた状態になっております。この誕生した仔牛が、雌仔牛の場合は、将来、乳牛の貴重な戦力になるので、手元に残し大事に飼育します。もし雄仔牛の場合は、一定期間飼育し、後に食肉として出荷します。当然の事ですが、雌牛でなければ、仔牛を産めませんので、雄牛は手元には残せません。しかし決して、雄仔牛だからと言って、全く役に立たないという訳ではありません。自らを犠牲として、食肉となり、酪農家さん、引いては日本の食肉産業に貢献しています。この事は、皆様にも胸の片隅に覚えておいて頂きたいと思います。
 無事に誕生すると、仔牛の呼吸の有無を確認し、自力で呼吸がしっかり出来るように、鼻や口内に付着している羊水を拭き取りつつ、臍帯の消毒、身体全体の羊水も拭き取ります。初めの陣痛(開口期)から分娩までの所要時間ですが、母牛に拠って違います。初産の乳牛は、骨盤の発達が未熟であったり、子宮口が狭いことがあるので、やはり長時間を要するケースがとても多いです。筆者の経験だと、最長6時間を要したこともありました。分娩を数回重ねている乳牛(経産牛)の分娩所要時間は、初産牛に比べて短いです。また筆者の経験で恐れ入りますが、約5産しているベテラン母牛は、最初の陣痛が始って約30分で、仔牛を自力で分娩したケースもあります。分娩の所要時間は、各々の乳牛の経験などに拠って大きく違います。

 

E仔牛が異常なく誕生し、羊水の処理・臍の消毒などの処置が終わると、仔牛を母牛から隔離し、別の場所(部屋やゲージ)へ移し、母牛の乳を搾り、初乳を約2?給与します。この栄養豊富な初乳を与えることで、仔牛は元気になり、最初の免疫力を持つことができます。時折、口内や食道に羊水が残っていると、初乳を飲まないことがあるので、その場合は、少し時間を置いて与えることもあります。この初乳の外見は、栄養満点で、色々な成分が含まれていますので、ドロリとしており、乳というよりお粥のような流動食に似ています。

 

 仔牛の世話も重要ですが、それと同様に重要なのは、産まれた仔牛以上に頑張った母牛の産後処置です。分娩という重労働を終えた母牛はとても体力を消耗しており、色々な栄養分も失っています。特に注意しなければいけないのが、低カルシウム症(欠乏症)です。分娩直前・直後には、必ずカルシウム補強剤を飲ませます。重症の場合は、カルシウムを点滴することもあります。万一、母牛体内のカルシウム欠乏が重症化すると、体温が下がって、起立不可となり、最終的には淘汰(廃牛)する憂き目になります。
 記事冒頭で、乳牛は仔牛を産まなければ牛乳が出ない。と申しましたが、母牛が無事に仔牛を産んでくれても、産後の肥立ちが悪くなり、カルシウム欠乏症となって、淘汰という最悪な結末になれば、1滴の牛乳も得られません。この様な結末を防ぐ為にも、酪農家さんは、分娩を終えた母牛の健康チェックはを欠さないようにしています。

 

F母牛が分娩を終え、自分の仔牛の為に牛乳を出してくれるようになった約1週間後、牛乳の出荷許可検査を検査機関に依頼し、それで出荷許可が得られたら、牛乳をいよいよ皆様に向けて出荷してゆく事になります。牛乳が出る期間を『泌乳(ヒニュウ)期』と呼び、母牛は約300日(10ヶ月間)、毎日牛乳を出してくれます。
 分娩約40日後には、母牛は健康を取り戻し、子宮内も安定してきますので、その後に発情が来たら、再度種付け作業を行い、次回の分娩に備えます。

 

 正に乳牛の生涯は、『@誕生→A成牛に成長→B妊娠→C分娩→D牛乳を出す→@に戻る』というライフサイクルの中を巡り、生きてゆくのです。本当に大変な生涯だと思います。この事を良ければ、牛乳を飲む際にも思い出してみて下さい。

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