酪農家の仇敵・乳房炎

この世にいる全ての動植物、生きている限り、大小種類を問わず必ず病気になったりします。それは乳牛も例外ではありません。今記事では、乳牛の病気を少し紹介してゆきたいと思っています。

 

『乳房炎』とは何か?
 人でも子供を出産して、泌乳期間のお母様方が罹る乳腺炎とほぼ同様な病気で、乳牛の場合は乳房炎と呼ばれています。
文字通り、乳房内に細菌などが侵入し炎症が起こり、主な症状としては、乳房が腫れ、搾った牛乳が悪質(腐った)状態、発熱や食欲減退が出る場合があります。そして乳房炎になった場合、飼育者の酪農家さんにとって一番の痛手は、先に述べた通り悪質な牛乳しか出てこないので、『それを出荷できない=無利益』という事です。
 一度乳房炎に罹った乳牛は治るまで時間を要す上、たとえ治ったにしても、乳量の減少や、後々再度、乳房炎に罹り易くなります。毎日高価な飼料を与え、一生懸命に乳牛を育て牛乳を搾っている酪農家さんにとっては、乳房炎は正に仇以上に、忌み嫌う病気なのです。筆者も、乳牛にしつこく付きまとう乳房炎には、かなり苦悩させられました。

 

 しかし、その酪農家の仇敵・乳房炎になる最大な原因は、毎日行う酪農家さんの搾乳方法にあります。現在は搾乳機械・ミルカーを利用して、毎日朝夕2回牛乳を搾ります。ミルカーは強い真空圧(バキューム力)を利用して、大量の牛乳を早く搾乳を行う、とても便利で有能な搾乳機械でありますが、それが却って欠点にもなり、酪農家さんが、搾り過ぎ・空搾りなど搾り加減を間違えると、乳牛の乳頭や乳房を傷付け、そこから菌が乳房内部に侵入・炎症を起こしてしまうのです。筆者も牧場勤務時、ミルカーでの搾乳加減には苦労しましたが、酪農家さんも筆者以上に、搾乳加減には毎日試行錯誤しています。
 昨今世界全国で、機械文明の恩恵の反面、その弊害(温暖化など)が騒がれおり枚挙に暇がございませんが、酪農世界にも同様であります。ミルカーという文明機器の登場により、毎日多くの牛乳を得るといる恩恵もありますが、乳房炎という弊害も毎日存在しているのです。乳房炎は文明機器がもたらした負の一つだと言えるのです。

 

 乳房炎の起因となる細菌を乳房炎菌と呼ばれていますが、その菌種は、『伝染性病原菌』と『環境性病原菌』の2種類に分けられますが、その2種の細菌も以下の様に内訳されます。

 

(1)伝染性病原菌(乳を搾るミルカーや人の手を媒体として乳房に感染):黄色ブドウ球菌・無乳性・減乳性レンサ球菌など。

 

*レンサ球菌の乳房炎の場合は、獣医さんが処方した抗生物質薬品を投与することで治療するこが出来ますが、伝染性で厄介なのは、黄色ブドウ球菌です。乳牛の生命を脅かす菌ではないのですが、この病原菌の乳房炎になると、抗生物質治療でも長期間の治療を要する上、治ったとしても完全完治しないという、実にシツコイ病原菌です。

 

(2)環境性病原菌(乳牛の身体や牛舎・牧場に生息する病原菌群):乳房連鎖球菌・大腸菌・クレブシェラ・プソイドモナスなど。

 

*この環境性で一番危ないのが、大腸菌の乳房炎です、別名:壊疽性乳房炎という物騒な名前で呼ばれます。大腸菌が起因となるこの乳房炎は名前(壊疽性)に違わぬ恐ろしい物で、もし乳牛が発症してしまうと、高熱・起立不可となり、数日内にほぼ確実に死亡します。薬物治療も全くと言っていい程、効果がありません。
 筆者も壊疽性乳房炎に感染した乳牛を3頭ほど見ましたが、全頭数日内で死去しました。今思い起こしても、本当に恐ろしい病気だと実感します。

 

 以上長々と乳房炎について紹介させて頂きましたが、酪農家さんが仕事に従事している限り、乳房炎は、彼らにとって永遠の敵なのです。

 

起立不可になる病気・ダウナー症候群

 乳房の病気である乳房炎は、乳量(収益)低下を発生させるたり、重症(壊疽性)は死に至る、酪農家さんが嫌悪する病気ですが、乳牛が『起立困難、最重症は永遠に起立不可となる病気・ダウナー症候群』は、またその上をゆく恐ろしい病気の一つです。乳牛は起立状態でしか牛乳を搾れませんので、この病気が発症し、自力で立つことが出来なくなれば、最早お手上げです。ましてや400kg以上ある巨体を人の手では何も出来ません。これでは大事な乳牛を淘汰する道しか残っていません。
 ウナー症候群、別名・乳熱・低カルシウム症(通称:低カル)とも呼ばれるこの病気は、仔牛を分娩した直後〜1ヶ月の母牛、特に高年齢の乳牛(経産牛)が発症しやすい病気です。先程述べた通り、起立困難および不可能になりますが、他にも低体温の症状もあります。

 

 分娩を終え疲労している母牛が体内外からカルシウムを上手く吸収することが出来なくなり、肉体・内臓機能低下し、更に衰弱してしまうのが原因ですが、正に「弱り目に祟り目」です。また皆様よくご存知の様に、牛乳には豊富なカルシウムが含有されいますが、乳牛は分娩直後が一番牛乳を出しますので、余計に体内のカルシウムが不足するという、悪循環の状況になり易くなります。
 折角仔牛を産み、牛乳を出してくれるようになった矢先、肝心の母牛が病気の為に起立不可、挙句の果ては淘汰という最悪な結末は、誠に嫌な話でありますから、酪農家さんは母牛の産休(乾乳)期の飼料配分、分娩予定日直前の観察に注意深くなり、分娩後は母牛にカルシウム剤を飲ませ、養分補給を行います。以上の措置を行い続けても、中には状態が好転しない母牛もいます。その時は、カルシウム液を皮下または血管点滴したりします。この点滴措置は、効果抜群であり、最重症の乳牛を除くと、大抵は回復します。
 筆者が飼育していたのは、ジャージ種でホルスタイン種に比べると、ダウナー症候群になり易い品種と酪農界では通説であり、実際その通りでもあったので、よく分娩後で産後の肥立ちが悪く、体温が低い母牛には上記の皮下点滴を行いました。しかし昔から、良薬は毒薬にもなると言うわれるように、カルシウム点滴も同様なのです。
 一般的にカルシウムと聞くと、とても健康的・身体に良い成分でありイメージが良いのですが、乳牛の場合は大量のカルシウムを急速に投与すると心肺活動が急停止し、死に至る事もあります。特に血管点滴を行う場合は、獣医さんが強く注意したのも納得であります。

 

 結局は、分娩を終えた体調不良の乳牛に点滴措置をとるのは、飽くまでも最終手段であり、それを利用する事の状況を未然に防ぐ対策を取って行くように、酪農家さんは実行しています。風邪はなって治すより、風邪を予防するという事と同様です。分娩日が来るまでに、飼料給与量や種類を徹底的に管理し、母牛の体調を万全にしておき備えておく。そして分娩後には、母牛に速やかなカルシウム飼料を定期的に給与してゆく。これこそ最善の分娩対策と言っても過言ではないと思います。僭越ですが、人生の諸問題の対処にも通じる事でもあると思いますが如何でしょうか。

乳牛の胃もたれ:食滞

 突然筆者の私事で恐縮ですが、寄る年波には逆らえず、二十歳代は脂っこい食事をしても胃病とは殆ど無縁でしたが、最近では少しの揚げ物料理を食した翌日、胃もたれ・胸焼けに襲われます。その時は当然ですが、食欲不振状態なので、淡泊な食事内容となります。生物にとっては必然的な事ではありますが、何とも胃病もとても辛い物であります。
 4つの巨大で丈夫胃袋(実際はその4つの内、3つは食道が膨張変化したもの)を持ち、毎日気が遠くなる程の回数を、ムシャムシャと咀嚼をしながら飼料を食す乳牛達ですが、そんな生物でも人間と同じ様な胃もたれ等の胃病、それが原因の食欲不振もあります。

 

 乳牛が胃もたれを起こす主な原因は、粗飼料(牧草)と濃厚飼料(穀物系)の配分の悪さ・飼料給与順番の間違い、があります。濃厚飼料は、消化性・カロリーが高く、乳量増加・体重増加に役立つ上、乳牛の嗜好性も良いのですが、こればっかり与えていると、乳牛の胃に負荷がかかってしまいます。我々の食生活に例えると、毎日野菜なしで、肉料理や揚物料理を食べている様なものです。これでは胃もたれ・胸焼け地獄に堕ちてしまいます。
 固く長い牧草は消化が緩やかなので、乳牛が咀嚼しながら食べて、胃の中でゆっくりと消化されてゆきますが、濃厚飼料の穀物系は消化が早いので、それが却って仇となり、胃の中は胃酸で充満して、胃が荒れた状態になります。乳牛の胃もたれ現象を『ルーメン(第一胃)の異常発酵』と呼ばれたりします。
 この様な状況にならないため、酪農家さんは、先ず最初に牧草を大量に給与、そして暫く牧草を食べさせ、乳牛の胃を落ち着かせ消化吸収を良くした後、漸く濃厚飼料を与える順番になります。我々の食事方法でも様々な理由で、野菜(前菜)を食べた後、主食・副食を食べるというベジタブルファーストがありますが、これと同様ですね。

 

 この様に乳牛と人間を比喩してみると、姿形・内臓は全く違う筈なのに、上記の飼料給与方法と食事方法など共通している部分もあるので、面白く感じる事を筆者個人としては禁じ得ないです。

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