日本各地に存在する在来種馬

古来より、国土狭い島国である日本では、地球を覆うほどのユーラシア大陸に比べると、野生、飼養を含めて馬の頭数は、遥に少なかった事は事実でした。この事が、古代より日本国内での馬車は普及しない1つの原因となって、つい現代までの国内の道路舗装率の悪さを招いてしまった事は、記事「馬車と日本の道路」で記述させて頂きました。しかし、日本国内各地方には、農耕馬など使役目的を主として、日本各地方には、それぞれ小規模ながらも、根付いた小体形の在来馬が存在しています。その好例というべき存在が、長野の木曽馬であり、北海道和種(通称:道産子)ですが、他の地方にも日本在来馬がいます。今記事では、木曽馬や北海道和種などを含めた日本の在来馬種を紹介させて頂きます。

 

 そもそも多くの日本在来馬の起源は、モンゴルや朝鮮で生息していた「蒙古馬」が日本各地に移入されて、各地方に根付いていった説が最有力ですが、主に、現時点で存在している日本在来馬を北方から南方へと述べると、以下の通りでございます。

 

@北海道和種(北海道)

 

A木曽馬(長野県)

 

B野間馬(愛媛県)

 

C対州馬(長崎県)

 

D御崎馬(宮崎県)

 

Eトカラ馬(鹿児島県)

 

F与那国馬(沖縄県)

 

G宮古馬(沖縄県) 

 

 上記の『7種類』が、北は北海道、南は九州・沖縄まで存在ています。そして本州唯一の在来馬は、A木曽馬のみになっています。木曽馬についての詳細は、以前の記事で紹介させて頂きましたので、今回は割愛させて頂きますが、今回は、@北海道和種 B野間馬 C対州馬 F与那国馬 の4頭を特にピックアップさせて頂きまして、紹介させて頂いたいと思っております。

北海道和種、道産子

 北海道和種、道産子として親しまれる日本馬が、在来馬の中で、最も多い飼養頭数(平成27年時点で1205頭。 公益社団法人 日本馬事協会 資料参照)を誇っています。
道産子は、江戸時代末期、道南に存在していた松前藩が、岩手県南部地方に存在している南部馬が、津軽海峡を越え、ニシン運搬のために移入したのが、はじまりだと言われています。
北海道という厳寒な地帯で、道産子生き延び、繁殖され続けてきたので、『粗食に耐え、持久力があり、我慢強い性格である上、大人しい性格の馬』として知られています。『小柄であるのに、粗食・頑強・持久力に富む』というのは、日本在来種が本来持っている強み(利点)の1つですが、先述のように、特に厳しい環境で生育された道産子は、他の在来種に比べ、より頑強になったのでしょう。

 

 昔は、頑強な体質を生かして、先のニシン運搬は勿論、木材や食料などの資源運搬の馬車用馬として、北海道開拓の貴重な労働力として大活躍したと伝えられています。また現在では、体質、小型(体高約140cm)で愛らしい体形、そして温和な性格が評価され、乗馬クラブやレジャー施設の初心者体験乗用や愛玩用として、飼育されている場合も多々あります。現在でも、在来馬の中で、一番多く飼育されている結果が、その事を物語っています。

 

*道産子の先祖・奥州馬について 
 道産子の先祖と伝えられている南部馬(別名:奥州馬)は、古代(奈良や平安時代)より名馬として、都(京都)の貴族や武士内で一種の名ブランド馬として、非常に珍重されていました。中尊寺金色堂で知られる奥州藤原氏は、黄金・アザラシの皮と並んで、奥州馬も都に献上していた記録も残っています。
 一時期、奥州藤原氏の庇護下にあった、名将・源義経も、「太夫黒」という幻の奥州馬に騎乗していたという逸話があります。恐らく、「独眼竜」の異名をとる東北の英雄・伊達政宗も奥州馬に跨り、戦場を駆け巡ったと思います。正に、「(奥州)馬上に少年過ぐ」(伊達政宗作の有名な漢詩)ですね。

野間馬

 野間馬(別名:ノマゴ)は、在来馬の中で、一番小柄な馬となります(体高:100〜125cm)。よって大別するとポニーの分類に入ります。
原産は、伊予国野間地方(現:愛媛県今治市)となり、江戸時代に伊予松山藩の久松定行が、軍馬増産目的で瀬戸内の小島で、馬の飼育を命じたのが嚆矢となり、そして、松山藩の分家である今治藩にある野間郷一帯の農家に馬の飼育を請負わせ、その経緯で誕生したのが野間馬と言われています。
 野間馬は、小柄で、性格温和、粗食に耐え、重い荷物も運搬できるという事で、農家には非常に重宝され、農耕用や運搬用として使われ、愛媛の名産であるミカン畑の作業にも活躍していました。まるで、中国大陸における驢馬と同様な存在を思わせるのですが、江戸時代には、ゆうに300頭以上の野間馬が飼育されていたそうです。
 第2次世界大戦後、押し寄せる近代機械化の波に押され、農作業で活躍した野間馬は、農村から徐々に姿を消し、驚くことに、昭和47年になると野間馬は、僅か5頭まで減少、絶滅の危機に瀕しましたが、昭和53年に松山市の篤志家が、野間馬4頭(牡:1頭 牝:3頭)を今治市に寄贈、これを契機に野間馬保存(野間馬ハイランドの主催者)が設立されて、以後再び増殖が薦められています。平成27年時点では、48頭の野間馬が国内で飼育されています。(参照:日本馬事協会 資料)
 現在では、小学校低学年対象の体験乗馬や小型馬車用馬として、利用されている事があります。

対州馬、対馬馬

 対州馬(たいしゅうば)・対馬馬(つしまうま)は、名前の通り、玄界灘に位置する長崎県対馬を本貫とする在来種となっており、近年まで、主に農耕用・木材運搬用として同地で活躍していました。体格では、平均体高は約136cmであり、先述の北海道和種と野間馬の中間体格となっています。鎌倉時代の武士が軍馬として活用していた説もありますが、これに関しては甚だ疑問を感じますが、敢えてその説に則り述べさせて頂くと、武士と言っても、鎌倉幕府を運営していた関東武士ではなく、九州などの在地西国武士が軍馬として利用していた事が考えられます。もし憶測を許されるのなら、鎌倉時代中期に、起きた大事件・元寇で、元軍を相手に奮戦した九州土着武士(少弐・菊池・竹崎など)は、対州馬を軍馬として利用していたかもしれません。いずれにしても、対州馬の主な用途は、対馬内の農耕や運搬の使役でした。

 

 原産地の対馬の地形は、全面積の9割以上が、標高200〜300mの山地で占められた傾斜地が多くありますので、その様な地形の中で、生まれ育った対州馬は、坂道や狭隘な道でも苦なく使役を務める事と、蹄が非常に頑強なので、蹄鉄を装着する事が無いのが、特徴となっています。また小柄な体格で、性格も温和であるために、女性でも難なく扱えるので有名であり、対州馬の飼養や作業全般は、対馬島内に住む女性の仕事の1つであったと言われています。
 厳寒な北海道で生育された北海道和種は、身体がより頑強な在来馬となり、傾斜の多い対馬で育成された対州馬は、坂道に適応が強いという其々の強みを見ても、馬も人と同様、生まれ育った地理的環境によって、特徴も強みも変る事を教えてくれます。

 

 昭和40年には、1182頭の対州馬が存在していましたが(日本馬事協会 資料参照)、明治期以降の馬匹改良(西洋馬の導入)、戦後の道路整備や運搬業の機械化の荒波を受け、徐々に頭数が減少。この経緯は、他の在来馬と同様ですが、この対州馬については、他種より深刻なものとなっています。平成27年時点で、僅か38頭のみ国内で飼養されているのが現状であり、8種類の日本在来馬で一番少ない飼養頭数になっています。因みに2番目に少ないのが、沖縄県の宮古馬50頭となっています。

 

 上記の様に事実上、絶滅寸前の稀少在来馬となった対州馬ですが、昭和47年から対州馬の増殖・保護を目的とした「対州馬振興会」が発足を皮切りに、現在に至るまで様々な機関で、対州馬の保護活動が行われています。今後もこの活動が続いていって欲しいものであります。

与那国馬

 与那国馬は、沖縄県八重山諸島にあり、日本西端の島としても有名な「与那国島」で飼育され続けている在来馬となります。この在来種の起源は、同県宮古島の在来馬である宮古馬と同じと考えられていますが、平均体高125cmある宮古馬に比べ、与那国馬は、やや低い体高120cmが平均となっています。(どちらにせよ世界の馬品種で分別すると、両方ともポニーに分類されますが)

 

 与那国馬の特徴も、やはり日本在来馬本来の特徴から漏れず、「小柄」「性格は温順」「身体が頑健」といった事が挙げられます。そして、丘陵地が多い島内で、陸路交通手段の1つとしても活用されていたので、この点は、先述の長崎の対州馬に似ています。

 

 与那国馬も近代機器の荒波に呑まれ、飼養頭数が年を降る毎に減少しているのが事実であり、これも今まで紹介させて頂きました在来馬と同じ道を辿って来ています。しかし、日本西端の島という地理的環境が大きな一助となり、他の種類の馬との交雑や国の馬匹改良政策を免れ、この純粋血統は守られたので、野間馬や対州馬のように、激しい飼養頭数の変化率(絶滅寸前の様な状況)がありません。ある意味では、先述の地理的環境が原因となり、馬匹改良政策から除外され、取り残された在来馬(与那国島)という見方もありますが、血統や飼養頭数が守られたという点で考えると、地理的環境が上手く効用したと言えます。

 

 飼養頭数の変移ですが、昭和45年では、日本国内に170頭の与那国馬が存在しましたが、昭和55年になると一気に50頭までに落ち込みますが、先立つ5年前の昭和50年に設立された与那国馬保存会が設立され、増殖・保護が行われ、平成27年時点では、飼養頭数が120頭まで回復しています。現在では、専ら観光用や愛玩用として利用され、与那国島内にある「与那国馬ふれあい広場」で、ふれあい体験ができるそうです。また本州では、ジャイアントパンダで有名な東京都台東区の上野動物園、馬の博物館(神奈川県横浜市中区根岸台)で与那国馬を見学できるそうです。

 

 

 以上、8種類の日本在来馬の内、4種類を例に挙げて在来馬の紹介をさせて頂きました。現在の日本国内では、特定な場所(牧場や動物園)へ行かない限り、馬自体を見る機会が少ないですが、これらの馬の殆どが、体格豊かな外国産馬(サラブレッドなど)となり、愛着のある小柄ズングリ体型の日本在来馬を見られるのは、稀少となっています。その様な現状であるので、世間一般のイメージでは、『馬=巨体な外国馬』となってしまいがちですが、小規模ながらも日本各地には、『昔から日本人と共に生きていた在来馬も存在する』という事を、この記事を読んで、知って頂けたら嬉しく思います。