乗馬の歴史
乗馬の歴史を調べてみると、紀元前3500年前後には中央アジアにて馬の家畜化、紀元前1500年前後には戦争用軍馬として、騎兵や戦馬車として利用されいる記録があります。また日本でも、弥生時代(2世紀後半)には馬が伝来し、4世紀頃には既に乗馬の技術が伝わっていたいうので、かなり深い歴史を持っています。
その深く長い歴史を持つ乗馬は、古代人が馬に乗るという技を見つけて以来、古今東西問わず馬匹・乗馬術が発明改良され現在に至っていますが、乗馬に使われる道具も例外ではありません。乗馬の際には、ハンドルというべき『頭絡』・乗り手が安定した姿勢で騎乗できる役割を果たす『鞍と鐙』・馬をより正確に動かせるための補助道具『拍車・鞭』が主に利用させますが、これらも時代を経て発明改良されていきました。
今回の記事は、先述の乗馬道具の説明をさせて頂きたいと思っております。
乗馬のハンドル・頭絡(ハミ・手綱)
乗馬の際、馬を左右に動かしたり、停止したりするために利用する道具が、『頭絡(とうらく) 別名:面繋(おもがい)』です。主に『乗馬用ハンドル・ブレーキ』の役割を担っています。
一言で述べると頭絡は以下2つの道具で構成されいます。とのを合わせて『頭絡』と総称されています。
@『手綱』:ハミ(詳細はA参照)左右に連結し、騎手が拳で握り馬を操る綱。(ハンドル・ブレーキ役)
*現在でも上司が部下を上手くまとめたり・統括する手腕を『見事な手綱捌き』と言われますが、この手綱に由来しています。
A『ハミ(銜)』:馬の口に含ませる主に金属製の棒状の道具。他にもゴム製・ナイロン製のハミもあり、調教など馬の状態によって使い分けます。口は非常に敏感の器官の1つですので、この棒状を銜えさせることによって、馬の運動制御を行います。別名:轡(クツワ)とも呼ばれます。(ハンドル軸・マンマシンインタフェース役)
*これを馬の前歯(切歯)と奥歯(臼歯)の間に、歯が生えない箇所(歯槽間縁)があるので、ハミをその箇所へ収めるようにする。よって馬がハミを自分の歯で噛んで不快な思いをすることはない仕組みになっています。古代の人は、馬の口の中の構造(歯槽間縁)をよく発見したものであると、筆者は感嘆しております。この発見・ハミの発明は、長い乗馬史上の最大革新の1つであったことは間違いありません。これによって馬を自在に操れるようになったのですから。
*金品を与えて口止めをする行為を『轡をはめる』と言われることがありますが、馬は轡を噛ませると大人しくなると思われていたので、この句が誕生したと思われます。
(ハミの一例)
(頭絡の各呼称)
頭絡の歴史も相当に古く、カザフスタンで発見された紀元前3500年頃の馬歯遺跡にはハミを利用した痕が発見されおり、当初は縄・動物の骨・硬い木などが材料でしたが、紀元前1200年頃のエジプトでは既に青銅製のハミが利用され始め、紀元前4世紀のイラン系騎馬遊牧民・スキタイ族では、青銅製のハミに代わり、鉄製ハミが利用されている記録が残っています。
紀元前には現在とほぼ同様な素材形式のハミが誕生していたのです。日本では、既に西暦7世紀頃(奈良時代)にはハミが伝来していたのは確実であり、また新潟県糸魚川市の岩倉遺跡(15〜16世紀・室町時代後期・戦国期)の発掘調査の出土品の1つとして鉄製ハミがあるので、13世紀頃(鎌倉武士が台頭し始めた時期)の日本でも既に鉄製ハミが利用されていた可能性が高いです。ハミ1つの歴史を採って見ても、馬具歴史の深さ・故人の知恵と知識の凄さに、筆者は感嘆しきりであります。
鞍(サドル)
鞍の主な目的は、騎手がより安定的に乗馬できるように乗れるように開発された馬具の1つですが、他にも荷物運搬用の荷駄鞍もあります。因みに鞍を英語で「サドル(saddle)」と言いますが、自転車やオートバイクの腰掛部品もサドルと呼ばれていますが、乗馬用サドルを語源としています。更にサドルシューズも、靴の甲部分が鞍の形に似ているので、「サドル」シューズと呼ばれるようになりました。
鞍を馬背に載せる際には、クッション性に優れるマット(ゼッケン)を被せて、その上に鞍を置き、腹帯という幅広の帯で鞍と馬をしっかりと固定します。そうする事によって、先述の通り騎手の姿勢の安定性に加え、乗馬の際に起こる揺れ・刺激(反動)からも騎手を護る仕組みになってます。騎手が反動を受ける事に拠って、載せてい馬自体の背中にも負荷を与える事になっているので、鞍は馬を出来る限り負担を少なくするという役目も担っています。
現在の乗馬用鞍(サドル)は主に革製であり、以下2つの乗馬スタイルによって分類され、各々形状や使用目的が違っています。
@ウエスタン(米国)式サドル:アメリカ大陸のカウボーイが発明した鞍です。総重量:約20kg
カウボーイが台頭した時代のアメリカ大陸は未だ未開拓であり、『長距離の騎乗を行う事・仕事(気性激しい牛などを馬上で捕まえる事)を目的』としていたので、ウエスタンサドルは英国式サドル(詳細はA)に比べると、騎座部分は深くゆったりとした構造となっており、前部中央には、騎手が仕事時(牛追い)の激しい横揺れの際に掴めるグリップ(ホーン)が設置されています。
現在でも米国本土や日本のウエスタン乗馬競技にも利用されいますが、先述の通り、騎座が深く・騎手が掴めるグリップが設置してあり、乗り易いので初級者向け乗馬教室や観光牧場の体験乗馬などでもよく利用されています。
(ウエスタンサドルの一例)
Aブリティシュ(欧米)式サドル:欧米・英国の乗馬社会で創り上げられた鞍です。総重量:約12kg)
ブリティシュ馬術は、ヨーロッパ諸国を起源として英国社会で繁栄で発達したものなので、@の仕事目的とするウエスタン乗馬とは違い、優雅かつ正確に乗馬をするという『馬術最重視を目的』としているので、騎手が自分の脚を使って馬に対して正確に指示を与えられるようにするため、ブリティシュサドルはウエスタンサドルに比べて、騎座が浅く、シンプルな構造になっています。
筆者がお世話になっている乗馬の師匠の言葉を拝借させて頂くと『ブリティシュサドルは究極の技術鞍であり、正しく上級者向け』であるそうです。確かに乗馬に慣れていない人が乗ると、ブリティシュサドルは非常に乗り辛いです。
究極の技術鞍であるので、オリンピック等の馬術競技全般では、このブリティシュサドルが利用されています。
(stockvault氏提供)
(ブリティシュサドルの一例。ウエスタンサドルに比べると、騎座が浅く・ホーンが無いシンプルな構造です)
鐙(あぶみ)の重要性
騎手が安定して騎乗できる馬具として鞍がありますが、それと同等に重要な物として『鐙(あぶみ)』があげられます。鞍と鐙があることによって、騎手は安定した姿勢で乗馬に集中できるようになります。
鐙が未だ無い頃は、騎手が両太腿で馬の胴を締め付けて、踏ん張りが利かない不安定な状態で乗馬していました。只でさえ揺れ動き踏ん張りが利かない馬上で、戦争や動物を追ったりする等の激しい乗馬は、正にアクロバット行為であったと思います。
鐙をはじめて本格的に使ったのは、5世紀にフン族(アッティラ王が率いる北アジアから東欧の幅広い地域を根城とした騎馬系遊牧民族)だと言うわれています。フン族は弓騎兵エキスパート集団であり、その戦力を以って大帝国を築き上げましたが、不安定な馬上で弓矢を使うという技術は、鐙と鞍(優れた馬具)があったからこそ完成したものでした。鐙が登場は乗馬史だけではなく、強力な騎馬兵を誕生させるという軍事史上でも大きな影響を与えたのです。因みにフン族最盛期(5世紀)には、欧米諸国には鐙が登場していなかったので(欧米で鐙が使われるのは7世紀頃)、それらの騎士や騎馬兵は弱兵に等しかったようで、最新の乗馬道具・鐙を装備したフン族の騎馬兵によって、撃破されています。
日本や朝鮮など極東アジアで鐙が登場するのも5世紀頃です。何と古くから乗馬先進国である西洋諸国より2世紀も早く鐙が伝来しているのが驚きであります。
現代の鐙素材は、ウエスタンサドルとブリティシュサドルによって違っており、前者は革や木製主流であり、後者は金属やプラスチック製が主流となっています。
(ウエスタン鐙と拍車の一例)
(ブリティシュ鐙の一例)
拍車(はくしゃ)をかける
拍車は、騎手が脚を使って馬へ前進合図(脚扶助)を強くするために用いられる馬具の1つです。材質は金属であり、形状は突起を持つ「棒拍(ブリティシュ乗馬用)」と円盤突起がる「輪拍(ウエスタン乗馬用)」があります。
馬は左右横腹を刺激することによって後肢が動く、つまり前身する身体構造になっています。よって騎手は、拍車を両靴(乗馬用)のかかと部分に装着し、馬の横腹を両足拍車で刺激する事に拠って、馬に対してよりスムーズに前進合図を伝える事ができる様になります。有名な慣用句の1つで、物事の進行を一段と速める事を『拍車をかける』がありますが、先述の事から由来しています。
拍車の起源は、紀元前4世紀には既に中央アジア出身の騎馬民族・ケルト人が使用していたと言われており、中世ヨーロッパの騎士にとっては、剣と共に必須道具の1つとなり、騎士叙任式の折に王から授与されていました。対して日本では、西洋馬術が導入された明治時代に漸く拍車が利用される様になったので、欧米に比べると拍車の歴史は浅いのが実情です。日本馬術では馬腹を刺激して動かく考えに乏しく、鞭を使って馬を動かすというのが主流であったので、拍車が流行する状態ではなかったのです。戦国時代に渡来した西洋人も拍車が無い事を書き残しています。
(ブリティシュ乗馬に利用される棒状拍車の一例)
(ウエスタン乗馬に利用される輪状拍車の一例)
ズボンとブーツ
現在のファッションの一翼を担っている「ズボン」と「ブーツ」も元々は乗馬道具の1つでした。
世界最古のズボンとして、中国最北西のウイグル自治区にいた騎馬系遊牧民(ウイグル人など)が乗馬ズボンとして着用していた物があり、他にもイラン人やスキタイ人など中東の遊牧民も乗馬用ズボンを着用しており、後に東欧諸国を経て西欧や世界に伝播していきました。ブーツも遊牧民が乗馬の際に脚を護る目的で履き始めましたが、ズボンと同様な経緯で世界へ伝播したと思われます。
古代中国での初ズボン着用は、紀元前307年(春秋戦国時代)の趙国王・武霊が自国の騎兵戦力を計り、敵勢力である北方騎馬系遊牧民に倣う形で、騎射と同時に乗馬用ズボン取り入れたのが最初であります。当時中国思想では遊牧民を軽蔑したものであったので、武霊王が遊牧民の服装・弓騎兵戦術を取り入れる際に、周囲の強い抵抗があったそうですが、武霊王は断行しました。どんな相手からも良い事は学ぶという姿勢を示す四字熟語『胡服騎射』はこの武霊王の決断から来ています。
日本でのズボン(直垂:ひたたれ)の歴史も深く、3世紀頃には既に着用していました。
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