日本と馬車
今回は馬が車台を曳く『馬車』について書いてゆきたいと思います。
日本を含める世界各国一部の山間地域や農村部では、木材運搬用馬車が利用されている所は除き、現在の様に、自動車や電車などの交通手段が発展著しい国々(特に日本)では、直に馬車をに見かけることは、とても少ないです。見られるとしたら各地の観光名所・儀礼的行事(王皇族婚礼や大使信任状捧呈式)等の限られた場所ぐらいです。近年では、現・駐日米大使であるC・ケネディ女史が捧呈式の際に、儀装馬車で皇居に参内した事が報道され、大きな話題なったのは有名です。
ケネディ女史は出生自体が世界的に有名なので、大いに話題になった事は否めませんが、その彼女が乗った馬車についても珍しがられたのも確かです。
現在でも、日本国内では馬車の存在は珍しがられますが、元来日本という国は古代より近代まで、『馬車とは無縁の物』でした。馬車が日本史の表舞台に初登場するのは、1869(明治元)年に東京〜横浜で開通された乗合馬車であり、その後ようやく馬車が都会を中心に普及していきました。
対して世界に目を向けると、古代ローマ帝国を舞台として扱った映画・ベン・ハー(1959年)やグラディエター(2000年)、西部劇や中国史の映画ドラマを観れば馬車(戦馬車)が頻繁に登場する描写がありますが、実際古代より馬車が様々な場面で愛用されていたのは事実です。
馬車の発明時期・場所こそは不明ですが、西欧諸国・北アフリカ・中東・アジアでは中国・韓国の各国で、紀元前という超古代より馬車が戦車(戦争用馬車)や運搬用して普及しました。時代が下り、19世紀の米国(西部開拓時代)でも馬車が移植者によって大いに利用されました。因みに、世界各国で普及していた馬車に因んだ現代語が沢山あります。皆様のご存知の自動車類を言い表す「ワゴン」「バギー」「オープンカー(カブリオレ)」は全て馬車から生まれた言葉です。
広大な世界中で日本のみ馬車が普及しなかった第一原因は、果てしない地続き乾燥地帯の欧米・中国や米国に比べて、日本は島国で国土の狭い上に、山地(勾配)が多くあり、少量の平坦地も河川多く、その土地も多雨多湿の気候により、湿地に変貌してしまうので、『馬車が使いたくても使えない』という地理的環境があります。
上記の原因等よって、古来より日本国内での馬車が普及しなかった事が、近代までの日本の道路事情にも多大な影響を与えていたのです。
日本の道路舗装事情
現在日本国内の国道や県道などの含める主要幹線道路は殆ど舗装(アスファルト)化されており、一部地域を除けば未舗装道路の方が珍しいのではないでしょうか。事実、2005年の日本道路協会が世界各国の道路舗装率を調査した『世界の道路統計』によると、日本の道路舗装率は「79%」と高数値であります。しかしこの高数値までなったのは、つい最近の事で、戦後間もない昭和30年以前の舗装率は50%を下回っていました。
『団塊の世代』と呼ばれる昭和20年前半に誕生された方々は、子供の頃から『日本は先進国の中でも極めて舗装率が悪い』『悪路日本』と教師に教えられたそうです。筆者の母親(昭和22年生)も丁度その団塊世代の地方都市出身者ですが、母曰く『子供の頃(昭和30年代)実家の目前の道路(国道)は泥道であり、雨が降ると悲惨だった』という経験談を聞いた事があります。
筆者の実母の経験談だけでは何とも心もとないので、他にも歴史作家の司馬遼太郎氏も紀行集「街道をゆく24 近江散歩」の中で、英国出身の芸術家であり親日家であったバーナード・リーチ(1887〜1979)が、自身の友人であり同じ芸術家であった濱田庄司(1894〜1978)の昭和30年代に行った対談内容について紹介された後に、引き続きご自身の当時の道路舗装についての経験も書いておられます。その部分は、長文ですが当時の道路舗装状況を細かに記されていますので、そのまま以下に抜粋させて頂きます。
『そのとき、リーチは、「日本はいい国だが、欠点もある。それは道路がわるいことだ」と、いった。当時いまから思うと別の国のように道路がわるかった。例えば、昭和30年代のはじめの頃、近江の草津付近の東海道は2車線で、一部簡易舗装だったような記憶がある。べつの記憶として、その頃、私はひとの車にのせてもらって大阪から岡山まで行ったことがある。この道路は、東海道とともに日本の幹線である山陽道だが、やはり2車線だった。姫路で夜になった。県境の山を越え、備前鍛冶で有名な福岡(長船の付近)に入った時、車がまきあげてゆく砂塵が、両側の家々の屋根や軒に積もって、沿道ことごとく泥の家のようになっていた。「その頃、道路だけが明治のまま」で、車の方が急増しつつあった。』
以上のように、昭和30年代の道路状況を自著内で語っておられます。また同時期に、別方面からは日本道路事情を酷評されました。それは日本政府が名神高速道路調査の為に招聘した世界銀行のワトキンス調査団が公表した「ワトキンス・レポート」です。その有名な文が 「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない。」です。日本人の道路へ対しての考え方を指摘しています。
この道路状況が改善されるのが、「コンピューター付ブルドーザ」と謳われる有名な政治家(のちの首相)・田中角栄氏(1918〜1993)を中心とする議員達が立案した『道路特定財源制度』です。この制度は、自動車関連の税金を道路整備・拡張のみに利用するというもので、これにより日本国内の舗装率(道路事情)は一気に向上する契機になったのは確実です。
道路と馬車
上記に近代日本の道路舗装率の悪さについて説明させて頂きましたが、何故、近年まで日本人に道路を舗装するという考えが乏しかったという事ですが、それが記事冒頭で述べた『日本で馬車が普及しなかった』からであります。大型な馬車が通るには、舗装が必要です。未舗装の泥道では、雨の日には車輪が泥濘に食い込み速度が落ちるし、滑り事故が起きる可能性もあります。また泥道であると、車を曳く馬が出すボロ(糞)や尿が掃除しにくく、泥と一緒に混ざって不衛生です。
日本国内で初めてアスファルト舗装化されたのは、馬車が普及し始めた1878(明治10)年、東京神田・昌平坂です。日本人に道路を舗装するいう考え方を本格的に持ったのは、(欧米諸国や中国より遥に遅い)、近代期の馬車の登場によって、漸く始まったのです。
馬車が古代より普及していた欧米諸国・北アフリカ(特にエジプト)・中国・韓国の各国は、昔から道路が石畳などで舗装され、「道路を舗装する」という考え方を持っていました。「綺麗に道路を舗装しなければ馬車(戦馬車)が使えない。そうしなければ普段の生活にも困るし、他国との戦争の際に戦馬車が使えない」からです。
その証拠に、先出のデータ「世界の道路統計2005」(日本道路協会)によると、各国の道路舗装率がわかります。
@100%の国:オーストリア・フランス・英国・イタリア・スイス
A90%の国:タイ
B80%の国:韓国・中国・エジプト
C70%の国:日本
E60%の国:米国
という結果になっています。馬車大国であり乗馬大国でもある欧米諸国の殆どは舗装率100%。古代より馬車を戦争に使っていた中国・その影響下にあった韓国は舗装率80%、同率であるアフリカのエジプトも古代より戦馬車が利用されていました。因みに(天然性)アスファルトを初めて使ったのはエジプトだと言われています。90%のタイ王国には皆様も以外と思われるかもしれませんが、実際、筆者は約15年前ぐらいにタイ王国を訪れた事がありますが、都市内は勿論ですが、殆どの主要幹線道路、果ては片田舎道まで舗装されていたのを覚えています。
例外は60%の米国です。開拓時代(19世紀中盤)より馬車が普及していた国の割には、他の国々より舗装率が低い理由として考えられるのは、各国より国土が超大であり、建国されて歴史が浅い(1776年建国)のが考えられます。
馬車の普及率が、ダイレクトに各国の道路舗装の歴史に繋がっているというのは何とも面白いものであります。「たかが馬車。されど馬車。」という思いが、この記事を書き終えた筆者には強く残っています。
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