カウボーイと武士の共通点とは

広大なアメリカ大陸を中心に、馬を自由自在に乗りこなしつつ、時にはロープや拳銃を使って、獰猛な野牛の群れを追って捕まえるという逞しいイメージがある『カウボーイ』。片や合戦の折、大鎧を着用し、疾走する馬上の上で、弓矢を放ち、正々堂々自分の名を名乗り、いざ敵に一騎打ちを挑んでゆく、勇敢なイメージがある『日本の武士』
 両者は、生国・人種・時代こそ全く違いますが、共通する点が幾つかあります。それは両者共に、『勇敢』『巧みに馬に乗る』というのもありますが、彼らの存在がこの世から消滅して長い年月を経た現在でも、各々の多くの同郷人(現代人)から愛され続けられているばかりではなく、現代生活や文化にも大きな影響を与えていることです。

 

 米国では、カウボーイファッションを代表されるように食、スポーツ・映画娯楽など幅広い風俗・文化に多大な影響を与え、生活の一部にもなり、アメリカを代表する1つの象徴とも言える存在になっています。
 日本でも、サッカーや野球・オリンピックなどの日本代表を「サムライ・ジャパン」と愛称されいますし、武士の文化や精神も我々現代日本人の文化風習にも多大な影響を与えられています。祭事・能楽・茶道などの諸文化、家長尊重・土地価値重視・神社(八幡宮)信仰などの考え方や宗教は、殆ど武士文化を発端としており、日本の武士が遺した物は、日本を代表とする1つの象徴となっています。

 

 米国カウボーイと日本武士とのもう1つの共通点は、互いに未開拓の辺境地で興り、苦難の末、未開の地を切り開いたという旺盛なフロンティア精神に富んだ『開拓者』であったことです。
 カウボーイというのは、自らの馬に跨って、米国の西部・中部未開拓へ赴き、野牛の大群を捕え、クマ・狼といった凶暴な動物から自身と捕獲した牛群を護りつつ、街へ届けるという危険極まりない輸送業(ロングドライブ)を生業としていた人々の事をさします。その割には報酬が少ないので、貧しく苛酷な職業でもあったようです。
 カウボーイの最活躍時期(1866〜1889)こそは短い上に、輸送業者であったので定住者ではありませんでしたが、彼らの危険を顧みない開拓精神によって、当時未開拓であったアメリカ西部〜中部が開かれた大きな原動力になったのは確かです。

 

 日本武士の中心的存在であり、後に決起し、鎌倉から江戸時代という政権交代を繰り返しながら約700年にわたって武家政権を築く東国武士団も、当時(12世紀頃・平安末期)は未開の地であった関東地方の出身者の開拓者(農民)集団でした。
 当時京都を中心とする天皇・公家政権によって全ての田畑は支配され、農民が自ら心血注いで開拓した土地や田畑も朝廷に没収され、奴隷の如く扱われ苛酷でした。これを「律令制度」と呼ばれています。この制度を嫌い、朝廷の権威が及ばない地方(関東)に逃げ延び、自分の土地を開拓した多くの農民集団こそが、関東武士団です
 後に、この大集団が、鍬を武器に取り替え、関東・甲信にあった朝廷官営牧場を乗っ取り、軍馬を育て、戦力を蓄え、大集結し、果敢に朝廷の方策に反旗を翻し、完成した独立国家が『鎌倉幕府』です。鎌倉幕府は源頼朝(1147〜1199)が開いたと学校では教えられますが、彼は飽くまでも棟梁(シンボル)であり、実際築いたのは農民出身の関東武士団です。
 現在でも使われる「一生懸命」という四字熟語がありますが、『一所懸命』が元祖であり、これは『1つの土地に命を懸ける』という関東武士の言葉であり、彼らの開拓精神を象徴する言葉でもあるのです。
 日本武士の強い開拓精神は、自らの土地を切り開いたばかりではなく、700年という長きに渡る武士政権を切り開いたいう点では、国の規模こそ違いますが、米国カウボーイの開拓精神を上回ったかもしれません。

(関東開拓団である関東武士の勢力を結集し、初の武家政権を創り上げた源頼朝の像。源氏山公園)

 

 米国カウボーイ日本武士の違う点を、時代・人種・国土などを除き、述べさせて頂くと、『カウボーイは開拓者でありながら非定住者を主とし日本武士は未開拓地を切り開き、その地の定住者となった。』という事でしょう。
 共に開拓精神に富み、境遇も似た者同士であるのに、自分達が開拓した地に定住しなかった米国カウボーイではカウボーイ政権という物が誕生せず、一方、自分の開拓地に定住した日本武士は、武士政権が誕生した。という事を筆者は考えると、歴史の面白さを感じる事を禁じ得ないです。