秋山好古と鈴木貫太郎
今回の記事は『日本近代酪農に貢献した2人の日本軍人』の紹介になります。「何で近代酪農と軍人が関係ある?こじ付けではないのか?」とお思いになられる方がいらしゃるかもしれませんが、決してこじ付けではございません。これから紹介させて頂く2人の軍人は、当時の日本の現状や将来を見据え、陰日向となり日本近代酪農の発展に少なからず貢献した方々であります。その人物達とは、陸軍軍人であり「日本騎兵の父」と称せられる秋山好古(1859〜1930)、そしてもう一人が海軍軍人であり、晩年は第42代内閣総理大臣として太平洋戦争終結に尽力した鈴木貫太郎(1868〜1948)の2名です。
好古と貫太郎両人の共通点を列挙させて頂くと、以下の通りになります。
@薩長閥外の明治期軍人出身者であり、国運を賭けた日清・日露戦争に参戦、幾多の死線を超えて軍功をあげ、遂には軍の最高階級・大将までに累進した事。
A非常に読書家であり、軍事以外の政治・史学・経済産業・国外情勢とあらゆる分野の博識家であった上、物事を柔軟に思考できた事。
Bそして、晩年に両人其々、違う形で酪農発展に力を尽くした事
以上3点を汲み取る事が出来ます。今記事では、飽くまでも上記Bを主題としておりますので、@の両人の武勇伝は割愛させて頂きたいと思います。
好古校長先生の牧畜業奨励講演
秋山好古という人物は、司馬遼太郎氏の代表作「坂の上の雲」の主人公の1人として世間で知られるようになり、近年の同名ドラマでは俳優の阿部寛さんが好古を演じていました。彼の生涯、最大の功績は、日本陸軍騎兵を一から作り上げ、日露戦争に活躍したことでしょう。晩年は、故郷愛媛に戻り、当時無名であった私立北予中学校(現・愛媛県立松山北高等学校)の校長に就任。教育者として生徒の指導と後進育成に邁進してゆきました。どうしても軍人としてのイメージ側が強くなってしまう好古ですが、晩年の校長時代こそ、彼の魅力が最大限に生かされ、彼自身にとっても最も充実した時期であったと筆者は思っています。
好古は、安政6(1859)年に伊予松山藩(現・愛媛県)の下級藩士・秋山久敬の三男として誕生します。通称・信三郎。「坂の上の雲」のもう1人の主人公であり、海軍軍人で日露戦争では連合艦隊作戦参謀で活躍した秋山真之は実弟にあたります。
秋山家は極貧家庭で生活が苦しかったですが、その逆境に負けず好古は猛勉強し、17歳(明治9年)で大阪師範学校を卒業、大阪府北河内58番小学校(現・寝屋川市立南小学校)で教員として勤務します。晩年に校長として再び教育者になりますが、好古の教育家としてのキャリアは17歳が始発点となっています。
教師になった翌年、18歳の好古は陸軍士官学校に入学し、陸軍軍人としての人生がここから始まり、以後46年間、数々の軍功を挙げ、64歳で陸軍大将で軍人生活を終え、先述の北予中学校の校長に就任します。以後6年間、無遅刻・無欠勤の皆勤であるばかりか、自ら教壇に立ち授業や講演を行い、確実に教育者の責務を果たしました。またこの時期を前後して、学校の夏休み期間などを利用して、友人が北海道で経営している牧場に滞在し、牧場の仕事に携わっています。この経験により、当時の日本国内の人口が増加する実情と照らし合わせて、今後の日本は農業・畜産の向上が何より大切だという事を悟り、さる講演会で生徒達に対して自分の考えを説くのでした。この事を好古の生涯を記した「陸軍大将・秋山好古伝」で以下のように記しています。
「将軍(好古)は、校長として生徒に対し、学期の始業式或いは終業式に於いてはいつも自ら訓話をなしたが、その中で特に記すべきことは、『我国の産業、就中農業、牧畜業を重視し、我国の社会問題中の難問題たる人口問題、食糧問題等を解く鍵は、正に此所(農業・牧畜)にありと考へ、生徒に対し熱心に農業、牧畜等を鼓吹した』のである。」(「陸軍大将・秋山好古伝」文中より)
その好古校長が生徒に鼓吹した内容記録が残っています。それが以下の通りです。
『皆さんが歴史を見てわかる様に、デンマークは、ヨーロッパにおける最も古い国ですが、周囲の強国と戦争を行い、5・60年前、殆ど我が北海道の半分位の国土面積しかない小国になってしまいました。国内には荒れ地が多く、農産物は、ロシア・米国の穀物に圧倒されて、国民は餓死するより他にないという状況になってしまいましたが、愛国心に溢れる人材が、盛んに農業を改良し、販売・購買の極めて完全なる組合制度を設け、この50年間に比較的世界に於ける、最も幸福な国民になりました。
今日、デンマーク人の一戸では、平均、馬2頭、牛3・4頭、豚5・6頭、鶏30羽くらい飼育しており、農産物の他、牛乳・チーズ・ハムなどを盛んに国外へ輸出し、一戸平均生活費を除き、約3千円(当時)以上の金額を輸出して、農業国民として世界の模範になっています。』
好古は欧米の農業大国・デンマークを例に挙げ、同国の国土や農業生産力を抽象的に説明するのではなく、的確な数値を用いて、解り易く説明しています。好古は軍人時代にフランスに騎兵を学ぶために長期間留学をしており、ヨーロッパの地理や情勢に詳しかったですが、これ程、数値を事細かく数値を用いて、農業大国・デンマークを説明したという事は、普段から農業・畜産に強い関心を示し、世界各国の農業を勉強していた証拠です。
好古の講演は未だ続き、今度は北海道の人口増加、農業・牧畜の発展に着目し、これからも更に同地の牧畜業が発展してゆく事を述べており、そして正確に言い当てています。
「私は、今年も例によって北海道に赴き、牧畜・農業に従事してきましたが、北海道は年々発展しており、殆ど人口も300万人以上になり、米も300万石(約54万トン)を産するまでに至りました。将来、その人口は1千万人以上になり、米も1千万石以上を生産するでしょう。(中略)私が従事してきた牧畜業は、年々発達し、牛馬羊豚の動物も非常な発育をなし、国内の牧畜は、北海道が最高位に達する状態です。『例えば牛乳は、1合当たり1銭5厘ですが、都会に於いては5銭または10銭になります。故に牛乳を原料とするバター・チーズ・コンデンスミルク(煉乳)などは、将来北海道にて多く生産されるようになるでしょう。』もし将来北海道がデンマークの様に発達したならば、数十億の輸出を成し得るであろうと推察します。」
以上が好古が校長として生徒達に、今後の日本に農業・牧畜(畜産)が如何に重要になってくるかを力説した内容でした。北海道の現状や牧畜業の発展、そして何よりも素晴らしいのは、当時の牛乳の単価などを熟知しており、それを皆に説明している所です。北海道で牧畜に従事していた時にでも入念に調べたと思われます。
愛媛県西条市にある河川(賀茂川)の改修工事が行われ、その記念碑の揮毫依頼を受けた好古は、記念碑完成式典で講演を行い、その時も最新の農法や各国の農牧業事情などを説いて延々2時間に及んだと伝えられています。
筆者は、これほど牧畜業の重要性を説いた偉人は他には知りません。最初に述べた様に、軍人・秋山好古は周知の通りですが、『人々に牧畜の重要性を説き、日本酪農に貢献した教育者・秋山好古』という側面も彼にあったのです。寧ろ此方の方が彼の本当の姿であったのではないでしょうか。