遊牧民の乳保存技術から産まれた乳飲料とは?
皆様よくご存知のように、「牛乳」は生鮮食品の一種ですので、腐敗し易いので、勿論ジャガイモなどように常温で長期保存が出来ませし、冷蔵施設(バルククーラーや冷蔵庫)などで保存していても、保存できる日数も限られてしまいます。よって、冷蔵保存など優れた保存技術を持たない、紀元前など大古の人々が牛乳が欲しい場合は、『牛から欲しい分だけ搾って消費する』という小規模な形態でした。
別の方法で、牛乳を保存する場合は、乳汁(液体)としてではなく、乳を発酵させて、長期保存が可能なチーズ・バターといった加工品としていました。特に、保存が効く乳加工技術に優れていたのが、広大な東洋に跨るユーラシア大陸に点在する遊牧民族でした。広大な草原を求めて、長期間、流浪の旅をする彼らにとっては、乳の保存技術は不可欠であったに違いなく、牛乳は勿論、山羊・馬などの搾った乳も加工し、チーズなどを含めヨーグルト、酒(馬乳酒が有名)といった嗜好品までにも加工する技術を持っていました。
余談となりますが、筆者はカルピス系飲料が大好物ですが、これも遊牧民族の乳製品から誕生した1つなります。彼らが作っていた乳発酵の中の1つに「酸乳」という飲み物がありますが、これを基盤として誕生したのが、発酵乳『カルピス(加糖殺菌発酵乳)』となります。カルピス株式会社の創業者で僧侶でもあった三島海雲氏(1878〜1974)が、25歳の折に、内モンゴルの遊牧民・鮑(ホウ)一族の元に滞在した際、体調を崩し、周囲の勧めで酸乳を飲み始めたら、回復したので気に入り、日本でも酸乳を作り広めたいという事で、帰国後の1919年にカルピスの大量生産に成功しています。遊牧民族が、脈々と受け継いできた乳の保存技術も、このような形で我々の身近にも息付いているのであります。
日本で本格的に牛乳を飲まれるようになったのは、明治時代(1868〜)からになります。勿論、その当時も冷蔵庫など気の利いた牛乳冷蔵保管施設など皆無であり、当時の牛乳生産者たちは、東京都内にある武家屋敷跡地などの空き地に乳牛を飼養し、それから搾り立ての牛乳を『ブリキ缶』に詰めて、市街地へ赴き、消費者が欲しい分のみ販売するという形式・量り売りをしていました。当時は文明開化の下、一般市民たちにも漸く牛乳が飲まれる風習が根付きつつある時期でありましたが、当時の牛乳保存能力は低く、搾った牛乳を直ぐにブリキ缶に詰めて売り歩くという、手法が中心でした。それから進化してゆくが、明治時代後半からであり、ブリキ缶から「瓶詰め」、そして更に時を経て、現在の主流である『紙パック』と保存技術が進化してゆくのですが、この詳細は、また別記事に紹介させて頂きたいと思います。