和牛の王様・黒毛和種
記事「そもそも和牛とは?」で、和牛の誕生経緯などについて少し紹介させて頂きましたが、今回は皆様も一度は見聞きした事であるであろう「和牛の種類」について紹介させて頂きます。
昨今、和牛の発展に奮励努力された偉大な先人・先輩方のお蔭によって、日本各地には様々なブランド名を冠する和牛が誕生しました。その好例と言えるのが、山形の米沢牛・三重の松坂牛・兵庫の神戸牛と但馬牛でしょう。これらの超有名和牛は、1種類の和牛に入ります。それが『黒毛和種』であり、日本では最も代表的な和牛品種の1つであり、『和牛=黒毛和種』というイメージを持っておられる方もいらっしゃると思います。勿論、和牛の品種は黒毛和種のみではなく、他に3種「褐毛和種」「日本短角種」「無角和種」がいます。この3種も順繰り紹介させて頂きます。先ずは、『黒毛和種』の紹介です。
@黒毛和種
昨今のグルメブームの中で、黒毛和種から産出する「霜降り肉」は大人気であり、先述の如く、日本で最も飼養されている和牛品種であり、全和牛飼養頭数の約60%の割合を占めています。
現存する全ての和牛品種は、古来から国内の小柄の在来牛と、明治時代に導入された西洋品種牛を交配された誕生した改良牛を祖にしていますが、黒毛和種の場合は、古来より牛の宝庫であった兵庫県・岡山県・島根県の西日本の在来牛と西洋品種牛を交配され作られた牛が初代となっています。
元来、使役・肉用兼用で飼育されていましたが、1965(昭和40)年以降から肉専用牛のみで改良が進められ始めらた結果、世界の肉用牛より小柄(平均体高130cm 平均体重430kg)であるにも関わらず、枝肉産量は約430kgといった世界でも優れた産肉量、そして何よりも皆様ご存知通り、最良の肉質を誇っています。
九州・四国産の褐毛和牛
A褐毛和種
@の黒毛に対して、こちらの和牛品種は『褐毛』と書いて『あかげ』と呼びます。英語でも「RedWagyuu」と呼ばれます。
この褐色毛(赤毛)に覆われた和牛品種は、九州産の『熊本系褐毛和種』と四国産の『高知系褐毛和種』の2つに分けられます。熊本系・高知系は共に同類ですので、根本的に同じですが、それぞれの誕生経緯が若干違っています。
(1)熊本系褐毛:熊本系が誕生した肥後国(現:熊本県)では、古来より褐毛在来牛が盛んに飼育されていた地域であり、粗食に耐え使役用として大いに利用されていました。この在来牛の先祖は、古来より輸入されていた「朝鮮牛」だと言われています。
明治時代に入り、政府によって食肉文化が奨励されたが契機となり、ブラウン・スイスやデボン種などの西洋品種牛が諸外国導入され、在来牛と交雑・品種改良が行われ始めましたが、熊本系もこの風潮で誕生してゆきました。
当初は、デボン種と在来牛の交雑品種を生産したが、結果が不良であったために、今度はシンメンタール種とスイスブラウンを導入して、在来牛と交雑が試みられました。特に、シンメンタール種との間で誕生した交雑牛は、極めて良好な結果となり、その後も順調に改良が重ねられ、「褐毛肥後牛」と命名され、次いで「褐毛系役肉用牛」、1944年に「高知系褐毛和牛と共に、1つの品種、つまり『褐毛和牛』として認定されました。
黒毛和種より大柄(平均体高が134cm 平均体重は560kg)であり、産肉量は優れていますが、肉質は黒毛和牛よりやや劣っています。
(2)高知系褐毛:高知系の褐毛の原形になったのは、明治期に導入された『朝鮮牛』と言われいます。日露戦争の勝利(1905年)が契機となり、積極的な外征政策を採り始めた日本は、1910年、韓国を隷属させた日韓合併を強行しましたが、これによって日本には多くの朝鮮牛が渡来する事になり、多い時期には年間3000頭以上が高知県に導入されたそうです。
高知でも、朝鮮牛と西洋品種のシンメンタール種が用いられ品種改良を行われた時点では、(1)の熊本系と全く同じなのですが、高知系では、朝鮮・シンメンタール雑種に、更にもう1回朝鮮牛を交雑し誕生した品種となります。高知系は、熊本系より余計な手間がかかって誕生した品種にも関わらず、地元・高知県の人々にとっては、毛色や使役能力が好かれなかったので、高知系の方は徐々に衰退していったという少し悲しい結果となっています。
熊本系より小型であり、体格は黒毛和種に近くなっています。(平均体高:125cm 平均体重:500kg)
因みに、褐毛和種は温暖な西日本で誕生した品種らしく「耐暑性」に優れているので、原産地となる熊本・高知、長崎で主に飼育されています。
東国出身の和牛・日本短角種
B日本短角種
先述の和牛2品種は、西日本の在来牛を利用して誕生した品種であったのに対し、この『日本短角種』という品種は、東北の岩手県の在来牛「南部牛」を始祖としています。岩手と言えば、古来より名馬「南部駒」の産地として有名ですが、実は『赤ベコ』の愛称でよく知られる南部牛も昔から飼育されていた在来牛でした。
南部牛は、農耕は勿論、内陸部に海産物の運搬、名産である南部鉄器の材料の鉄材を運搬使役に活躍し、地元では重宝されていました。その南部牛も、明治時代になると、使役目的に、食肉増産目的の品種改良が加算され、西洋品種と交雑されるようになります。
1871(明治3)年、英国原産のショートホーン種が岩手県に初めて導入され、南部牛と交雑され改良が進められてたんじょうしたのが、日本短角種であります。この品種の評判は良かったようで、岩手・青森・秋田といた東北の広い地域で、役肉用として飼育されるようになり、当初、岩手では「褐毛東北種」、青森・秋田では「東北短角種」と地域で違う呼称でした。
和牛品種の設立に多大な功績を遺した羽部義孝氏(全国和牛登録協会初代会長)が、1942(昭和18、当時羽部氏は、京都帝国大学教授)年に、東北地方の実地調査に赴いた際、現地で飼育されている短角種について、『東北地方の気候風土によく順化しており、我が国農用牛として適当と思われる』と高評価をしています。
戦後、岩手・青森・秋田三県で、短角種を肉用種として本格的に飼育してゆく動きが活性化し、1954(昭和29)年にそれまで地域で違っていた呼称を「日本短角種」として統一され、その3年後の1957(同32)年に日本短角種登録協会が設立されています。
日本短角種の特徴として、黒毛和種より大柄であり、先祖の南部牛と同様で、粗放な管理(特に放牧適性が良好)で飼育が可能であり、春〜秋までは放牧場で四六時中飼育されている事があると言われています。
飼育頭数が少ない無角和種
C無角和種
この品種については、あまり聞き慣れないかもしれませんが、『無角和種』とは、現在の山口県阿武郡大井村(現在の萩市)を原産とする和牛品種となります。
1920(大正9)年、上記の阿武郡で飼育されていた在来牛(見島牛か?)と英国産であるアバーディーン・アンガス種(何とも長い品種名である)の一代雑種の雄が交雑され誕生した仔牛が、この無角和種の初代となります。
初代無角種の発育が良く、他の在来牛より高価で取引され好評だったので、上記のアンガス種を利用して更に改良が進められ、1930(昭和5)年には、純粋血統のアンガス種を英国から輸入され、増殖されました。この当時は、無角防長種と呼称され、1937(同12)年に無角種と改名され、1944(同19)年に黒毛和種・褐毛和種と共に、正式に和牛品種の1つして登録されています。
無角和種の特徴は、文字通り「無角」であり、毛色が黒毛和種よりも濃い黒色であり、蹄や鼻鏡も黒色である事です。身体が全体的に丸みを帯びていている点では典型的な和牛体型です。しかし、黒毛和種より早熟で肥育力があるのですが、肉質は黒毛和種より劣っています。それが原因であったのか、中々飼育地域が拡大せずに、1962(同37)年、飼育頭数が8700頭に及びましたが、現在では飼育頭数が減少し、僅か約100頭ほどしか飼育されておらず、殆どが原産地である山口県で飼育されています。
因みに、無角和種の平均体高は122cm、体重は450kgとなっております。
以上、和牛品種の紹介をさせて頂きました。和牛はやはり黒毛和種のイメージがどうしても強くなってしまいますが、他にも3種存在していたのであります。これを機に知って頂ければ幸いでございます。