牛肉食禁止の古代日本

 日本に牛が伝来した時期は、弥生時代初期(紀元前10世紀頃)と大和朝廷時代(西暦6世紀頃)という諸説が研究者の方々の間で諸説があり、伝来時期は未だ釈然としないですが、兎に角にも古代には既に、朝鮮半島を経て牛が日本に伝来したという事は確実のようです。
 牛(馬も含める)を日本に持ち込んだ人々は、当時最新の文化や技術を保持していた中国・朝鮮の亡国王朝の生存者たち(渡来人)であると言うわれています。大陸の最新知識を所持していた渡来人は、その後の日本文化や思想の発展に大きく貢献したサロン人であり、日本の古代畜産技術も飛躍的に発展したと言われています。天皇家に初めて牛乳の利用法や搾乳法を伝えた孫智聡・善那親子もそのサロンの人です。
 中国人や朝鮮人は古代より牛肉や乳製品を食する事には抵抗が無い人々であったので、渡来人も牛肉を食していたと思われるのですが、牛を食用として飼育していたという記録は見つかっていません。牛は農耕や運搬労力として重宝されていたので、肉を食べれた人は上流階級の極僅かである上、食べる機会も極めて少なかったと思われます。牛肉を食す代わりに、狩猟で野鳥な鹿を狩って、それらの肉を食用としていた記録や歌が残っています。

 

 日本の食肉史を語る際、仏教という思想は無視できない存在です。仏教が伝来したのは6世紀中頃ですが、朝廷は日本を仏教思想のもと、1つに統合する事を目指して仏教の布教に勤めました。聖徳太子の法隆寺建立がその中心的存在です。
 更に仏教の思想を日本国内に徹底させるため676年、天武天皇は詔(ミコトノリ・天皇の命令)として、馬・牛・犬・鶏・猿といった動物を殺す事を禁止する『殺生禁断令』を出します。これが日本史上初の肉食禁止令となり、その後も12世紀頃まで各天皇により繰り返して、食肉禁止令が発布されました。
 上記の肉食禁止令は、日本の畜産の在り方を大きく変えた転換点になりました。英国をはじめとする西洋・米・豪などの各国が有史以来、良質な牛肉を多く得るための畜産技術や品種の向上が図られ発展しましたが、古代の日本は殺生禁断令によって、牛肉を公に食する事を禁じられたので、良質な牛肉を得るための日本の畜産力は頭打ちになってしまいました。
 平安時代になっても、牛肉が貴族(当時の為政者)の間で公に食される事はありませんでした。彼らが仏教(食肉禁止令)への帰依が強い事もありましたが、彼らの象徴的な乗り物・牛車を使っていたのも、牛肉を食べなかった理由になっています。
 貴族の権力が廃れ、替りに武士が権力者となった時代になっても、やはり牛肉を大々的に食べる事はしませんでした。但し貴族の様に仏教的思想が起因ではなく、武士の根幹である農地(領地)を耕す貴重な労力や鎧を製造する際の皮材料を亡くさないための合理的思考があったからです。
 動乱の戦国時代では、キリスト教など西洋文化が初めて国内に導入された時期であり、その中には牛肉を食する文化も入っていました。キリスト教宣教師が牛飯を調理し国内信者に振る舞った事や、戦などで負傷して使役として利用不可能となった牛馬を屠畜して、それらの肉を焼いて食している事(すき焼きの元祖)や、熱心なキリスト教徒であったインテリ戦国武将・高山右近(1552〜1615)が同じインテリ仲間である大名達と、牛肉料理を食べた記録が残っており、一部の日本人(武家)の間に牛肉が食されていた事を示しています。しかし食肉禁止令が形骸化したとは言え、牛肉を食べる事は一般的にはやはり禁じ手であった側面もあり、豊臣秀吉は、宣教師・コエリョが牛を売買して食べた事について難癖を付けた記録も残っています。
 江戸時代でも、幕府は庶民に牛肉を食する事を建前上禁止しており、特に農民が所有している農耕牛を屠殺する事を固く禁じていました。江戸市民の間でも兎や猪などを食べさせる肉屋(通称:ももじ屋)はありましたが、牛肉は提供されていなかった様です。これ程、庶民に牛肉を食べる事を禁じていた肝心の江戸幕府上層部(将軍・御三家)は、彦根藩が飼育していた近江牛(赤斑牛)の肉味噌漬けを毎年献上させて、食べていたのです。特に幕末の水戸藩主で牛乳好きであった徳川斉昭は、この近江牛味噌漬けが大好物であったと伝わっています。
 広く本格的に庶民の間で牛肉を食されるようになったのは、明治時代になってからです。逆に明治政府が、積極的に牛肉や豚肉を食べる事を庶民に奨励し、1万円札で有名な福澤諭吉も牛肉奨励パンフレット『肉食之説』を執筆し、牛肉のススメを行っています。しかし、当時未だ庶民の間で、牛肉を食べる事にかなりの抵抗を示し、様々な揉め事がありましたが、特に明治天皇が牛肉を食された直後の明治5年2月に、御岳行者集団が皇居に乱入、牛肉反対デモを起こすという事件もありました。最も当時の屠殺技術が未熟であった為に血抜きが上手く出来ておらず、血生臭い牛肉料理で庶民の間で不評であったようです。
 牛肉が庶民の間にも好き好んで受け入れられる様になったのは、1904年のロシア帝国と勃発した日露戦争の時に、乾燥牛肉や缶詰が考案され、軍隊の食糧となりました。これが徴兵された士卒の間で大好評、戦争終了後の復員した庶民で、牛肉は忘れられない恋しい味となって、牛肉の普及に拍車をかける一事になりました。
 大正にはハム製造が開始され、関東大震災後はコンビーフンが大量に輸入され普及し、その後も洋食産業が日本国内に拡散し、大正末期〜昭和初期になると、日本人の牛肉に対する嫌悪感や忌避感は殆ど無くなり、寧ろ庶民の間では普段食べる事が出来ない超高級料理となりました。
 牛肉と日本人の歴史も長く深いのです。