そもそも和牛とは?

 現在でも、絶妙な肉質と脂質のバランス、つまり「肉のきめ」が人気であるブランド食用牛の『和牛』。本記事タイトルにある通り、そもそも和牛とは、どの牛を意味するのかを紹介させて頂きます。

 

和牛というのは、明治時代以前から農耕や運搬などの使役用として、日本各地に存在していた「日本在来牛」と、西洋近代文明が本格導入された明治時代に輸入された「外国種」と交配・交雑が繰り返され、誕生した家畜牛となります。因みに類以した「国産牛」という言葉がありますが、これは和牛のみを意味するものではなく、日本国内で飼育生産された家畜牛全般を指します。つまり、乳牛と肉牛の交雑種、乳牛も国産牛の分類に入ります。
 現在では、和牛と言えば、有名な5種類「黒毛和種」「褐毛(あかげ)和種」「日本短角種」「「無角和種」、「これら4種類の交雑種」の食肉専用牛のみを意味しています。元来、和牛は食肉目的のみで改良されたのではなく、1900年初頭(明治期中期)に、国策の下、在来牛と外国種の交雑によって、和牛(当時は雑種牛と呼ばれる)の改良が本格的に進められた目的は、農耕牛としての使役能力を高めるためでした。簡単に言ってしまえば、「力があり賢い使役能力に優れ、それなりに旨い牛肉を生産できる牛が欲しい」というのが、当時の日本政府の希望でした。
 しかし、この政府希望は打ち砕かれる事になります。国民(農家)が雑種牛を受け入れなかったのです。雑種牛は、在来牛よりは肉付き豊かで生育が早かったようですが、その分多くの飼料が必要となりました。また肉量があるが、肉のきめ等の肉質が悪いという欠点があり、何よりも使役第一で代々育成されてきた在来牛に比べ、肝心の使役能力が劣っているのが、国民が雑種牛を嫌った原因になったのです。
 もっとも、肉質が悪い雑種牛肉でも食肉用として活躍した時期があります。1904年に始まった(翌年終結)日露戦争では、兵士の戦場食(牛肉缶詰)として、雑種牛を含める日本国内の牛、1904年内でも約28万頭が屠殺がされ、牛肉缶詰として利用されており、(これの味付けが良かったがために)、滅多に牛肉を口にする事が出来ない戦場の徴兵された多くの国民(地方出身の男子)が、この牛肉缶詰の美味を覚えて、牛肉が好きになり、これが日本の牛肉ブームの一翼を担うのですから、決して評判が良くなかった雑種牛が思わぬ形で、今後の和牛発展に活躍するのですから不思議なものであります。

 

 1912(明治45)年に、政府は雑種牛(和牛)の改良に再び乗り出し、『在来牛の長所を保持し、その欠点を雑種牛の長所によって補う牛』を生産できるように動きます。そして、同年から国産牛は、改良和種という新しい名前で呼ばれるようになりました。 
 改良和種牛を、現在の優れた和牛の様に発展させたのが、羽部義孝(1889〜1986)という人物です。羽部さんは、東京帝国大学農学部(現・東京大学農学部)を卒業後、農商務省畜産試験場中国支場へ赴任し、中国地方で改良和種の改良発展に取り組み、1934(昭和9)年に中国和牛研究会を発足させ、1948(昭和23)年に全国和牛登録協会を創設して、現在に繋がる和牛品質の向上に心血を注ぎました。
 黒毛和種の毛色標準である「黒毛であり、やや褐色がある」という基準設置、「牛の鼻紋での個体識別方法(人での指紋識別に相当)」といった現在の和牛産業の基盤を築き上げたのも羽部さんだと言われています。そして、『和牛』という名前を世間に初めて公表したのも、この羽部さんです。1925(大正14)年の羽部さんが記した「和牛の改良」で、使われた和牛という名詞が初めて公で使われた時だと言われています。

 

 羽部義孝という、今でも決して有名ではない人物が、今日に繋がる和牛産業発展に貢献していたのですが、その和牛が現在の様に、「黒毛和種」や「褐毛和種」、「無角和種」といった、我々現代人にも馴染みのある和牛品種名が誕生した時期は、日本が極度な軍国主義に傾き、日中戦争が開始した同年の1937(昭和11)年であり、政府が全国の使役・食用の和牛の登録を一元化する事を進め、この年に、「黒毛和種」「褐毛和種」「無角和種」の3種に大別されるようになりました。
 当時の政府が、和牛の一元化を推し進めた理由として言われているのが、「和牛改良を全国レベルで推進する事」・「同年に始まった日中戦争による緊迫した情勢下、国家による管理統制強化の一環」という2つが挙げられています。戦争による厳しい統制下によって、現在に息づく黒毛和種という名前が正式に利用されるようになったとは、筆者としては、何とも複雑な心境になってしまいますが、理由はどうであれ、1937年に公式に和牛の品種名が誕生した事は事実であります。そして、終戦前年の1944(同19)年に、黒毛・褐毛・無角の和牛3種が固定された品種と認められる様になり、現在に至っています。

 

 次回は、現在でも存在する上記の和牛品種について、少し紹介させて頂きたいと思っております。