日本と養豚

 日本国内でも古代縄文時代から豚の原種である猪が存在していたという事は明らかになっており、鹿と共に人類の狩猟対象になっていましたが、弥生時代になると(一説には縄文末期)、猪(野生豚)の家畜化された形跡があり当時の家畜化された猪の頭蓋骨が発見されています。しかし野生の猪を捕獲し豚の家畜化が開始された説と、中国大陸から家畜豚が持ち込まれたという説もあり、学者先生方の熱心な研究にも関わらず、現在に至っても日本の養豚起源や古い経緯は明確にはなっていない状況です。
 日本で明確に養豚の存在が記録に現れてくるのは、西暦3〜7世紀(古墳時代)であり、有名な古代和書である日本書紀・古事記・万葉集の中で「猪(豚)飼」「猪(豚)養」という言葉が出てきており、当時豚が飼育されていた事がわかります。
 天武天皇が勅令した『肉食禁止令(675年)』では、庶民には牛馬・犬・鶏の肉食を禁止しましたが、豚・猪・鹿は対象外であり、豚肉を食べる事は禁止されていませんでした。しかし、肉食禁止令は庶民に大きな影響を与えた様で、「豚を含める四足動物を食べると身が穢れる」と考えに後年に至るまで支配されるようになり、古代日本では養豚が廃れていきました。筆者の愚見ですが、5世紀後半または6世紀中盤に中国から干支が日本へ伝来したと言われていますが、中国の干支の1つである豚が日本にはいないという事で、豚年の替りに猪年としているので、5世紀頃には既に養豚が廃れていたと考えられます。

 

 中世〜近世(江戸幕末)になっても日本では豚肉忌避に支配され続けており、江戸中期の絵師・司馬江漢は、隣国中国大陸(当時は清王朝)の豚肉好きを揶揄した『楊貴妃(世界3大美女の1人)は 綺麗な顔で 豚を食い』という川柳が有名です。
 上記の風潮の中で、国内では例外の地域がありました。「薩摩(鹿児島県)」「琉球諸島(沖縄県)」です。この2地域は、本州が豚肉をと言うより、豚の存在自体が極めて珍しいという時代に、豚肉を食していました。特に有名なのが薩摩の人々は、豚を『歩く野菜』と称し、在来種の豚を捕まえて食べていました。有名な西郷隆盛も豚肉や豚骨料理が大好物であった事も有名です。
 戦国と幕末の薩摩人は「薩摩隼人」と呼ばれ精強無比の集団として周囲から畏怖されましたが、豚肉を食べる「肉食集団」であった事が遠因になっているかもしれません。余談ですが、幕末に活躍し、薩摩人と並んで精強と謳われた『新撰組』も当時未だ珍しかった豚肉料理を導入し、養豚も開始していました。また牛乳好きのグルメ水戸藩主・徳川斉昭や彼の実子で、江戸幕府最後の将軍・一橋(徳川)慶喜も豚肉が大好物でした。特に慶喜の豚肉好きは有名で、彼の事を「豚一様(豚肉好きの一橋様)」と江戸庶民の間で呼ばれていました。上記の様に、江戸時代まで日本人は豚肉を忌避されていましたが、当時の権力者や一部の特別な人々によって、ようやく豚肉の食文化が国内に浸透してゆく事になります。

 

 明治初期になると庶民の間で食肉文化が大いにに浸透していきましたが、文明開化の象徴の1つ「牛鍋」が持て囃されように、飽くまでも食肉は牛肉が一般的であり、未だ豚肉は当時の人々には好んで食されませんでした。1884(明治17)年の養豚頭数調査によると、全国で約2万5000頭しか飼育されていませんでした。
 しかし、明治後期になると東京の各地で日本豚肉料理が誕生していきます。東京銀座の元祖洋食店・煉瓦亭が1889(明治31)年に、豚肉を油で揚げた料理を考案し『ポークカツレツ』と銘打って、トンカツの原形メニューを出したのを皮切りに、1918(大正7)年には『カツカレー』が作り出され、1921(大正10年)には『カツ丼』が誕生し、同年には新宿で開業した洋食店「王ろじ」が、今日の『トンカツ』を考案しました。

(ポークカツレツを考案した煉瓦亭 画像:ウキペディアより引用)

 

 以上の如く、明治末期〜大正になり漸く豚肉料理が世間一般に受け入れられるようになりました。そして、1923(大正12)年に発生した大災害・関東大震災の後、日本政府が東京にコレラが蔓延することを危惧し、東京市民に生魚を食べる事を制限したので、豚肉の需要が一気に高まりました。余談ですが、現在の蕎麦屋ではトンカツ料理(カツ丼)を提供している御店が多いですが、この由来は大震災発生直後の同年、それまで洋食の台頭により、瀕死の危機の状況であった蕎麦産業が経営打開策として、トンカツを提供したのが始まりだと言われています。

 

 1900(明治33)年に日本養豚振興のため、明治政府は英国よりヨクシャーとバークシャーの全22頭の2種を輸入しました。乳用牛や肉用牛を輸入された明治初期に比べると相当遅いですが、上記の2種が国内に導入された時期は丁度、東京の洋食店で豚肉料理が始っている黎明期である事は見逃せません。
 現在の国内有名豚肉ブランドである鹿児島県産黒豚の起源も、ほぼ同じ明治中期になります。1892(明治25)年に鹿児島県は、黒豚の代表であるバークシャー種を県内奨励養豚種に指定しました。他県は白豚のヨクシャー種を奨励指定にしたのを考えると鹿児島県の選択は極めて珍しいものでしたが、これが今日の黒豚ブランド名の獲得に至ることになります。

(黒豚の一例)