世界の鶏肉生産

 前記事では、世界に存在する鶏卵種を紹介させて頂きましたが、今回は肉用ニワトリについて述べてゆきたいと思います。

 

食肉として、牛肉・豚肉・鶏肉の3つが日本を含める世界で主流である事は周知の通りですが、これら3種の中で、近年「生産増加量」が著しいのが鶏肉になります。欧米などの先進国の鶏肉生産量の多さは無論の事ですが、特に中国・インドなどの東西アジア、ブラジル・メキシコなどの南米の発展途上国での鶏肉生産量の増加には目を見張るものがあります。1970年に、鶏肉の生産量が多い国は、米国・旧ソ連・中国・フランス、日本は8位の順でしたが、2005年になると米国・中国・ブラジル・メキシコ、日本は10位という順になっています。
 05年当時のアジア・南米発展途上諸国鶏肉生産増加量が、70年の生産量に比べ、約10倍になっていますが(Windhorst2006参照)、鶏肉は、肉質は高タンパク質・脂肪含量が少なく健康的であり、牛や豚より飼育場所を必要としないなど容易で低コストで肥育できる上、その期間が短く、直ぐに食肉として利用できるのが理由となっています。

 

 以上の様に、発展途上国をはじめとする世界各地で生産されている肉用ニワトリ種名を紹介させて頂きます。

肉用ニワトリの王道・ブロイラー種

 現在でも肉用ニワトリ品種として筆頭に挙げられるのが、ブロイラー種になります。ブロイラーという名前の由来は、肉を直火で「あぶり焼き」する事を英語で「broil(ブロイル)」と言いますが、この調理加工の言葉がきています。米国原産の肉用種であり、第二次世界大戦後に軍需食用品として牛肉が使われ、深刻な食肉不足問題を解消するために、米国内で徹底的に様々な品種の交配・交雑が繰り返された結果、『短期間で急速に成長させ、食肉生産増加を目的として作られた品種』となります。
 牛・豚に比べ、ブロイラー(ニワトリ)は、繁殖が強く、一度に卵(子)を多数産み、それらを孵化させれば、多数の雛(肉用)が得られます。また成長速度も牛豚とは比較にならないほど速いので、ブロイラーは生後僅か40〜50日程度で若鶏肉として出荷可能となります。大戦後当時の肉不足に悩む米国では、このブロイラー肥育産業は大いに栄え、鶏肉を使った新規食肉産業、『ブロイラー産業』が誕生する事になります。世界各国に存在する大型ファーストフード店の1つ・KFC(通称:ケンタッキー)も、このブロイラー産業の1つと言えるでしょう。

 

 ブロイラー種は早期食肉不足解消目的で、人の手によって品種改良が幾度となく繰り返され、短期間で、大量の肉出荷可能である事が最大利点として誕生した品種でございますが、一方でこれが問題になっている事もあります。昨年のニュースで、KFCが提携しているブロイラー養鶏場で、ニワトリがすし詰め状態で肥育され、僅か生後約35日前後で出荷される現状を「酷い」として、動物愛護活動家から指摘された事が、英国の報道機関・BBCが報道しましたが、これもある種のブロイラー産業が生んだ負の部分と言えるでしょう。

日本にも馴染みの深い『コーチン』

現在、愛知県の特産の1つとして有名な『名古屋コーチン料理』がありますが、その鶏肉を産出しているのが、中国大陸原産のコーチン種になります。コーチン料理のイメージが強いので、食肉専一の品種と思われる事もあるかもしれませんが、ピンク卵を産む卵肉兼用種(NG4種)となります。

 

 先述の如く、コーチン種の原産国は中国大陸です。コーチンという名前の由来も中国語の「九斤黄(Ji?j?n huang)」から来ており、9斤(中国では約4.5kg)の体重もある体格豊かなニワトリという意味が込められているに感じます。実際、他種のニワトリと比較しても、体躯が大きく堂々としています。また羽毛量も豊かである上、脚毛もあるので、より一層外見を大きくしています。

 

 1845年に、当時の清王朝をアヘン戦争で撃破し、中国大陸の各地を植民地していた英国が、コーチン種を大陸より輸入、その直後、米国にも輸入されたのが契機となり、コーチン種は世界各地へ伝播してゆきました。元来、体格が大きいので産肉量にも優れている上、産卵数も当時飼育されていた他品種よりも多かったので、他種との交配交雑が行われ、多くの卵肉兼用ニワトリの品種成立に貢献しました。日本でも、愛知県農業総合試験場でコーチン種改良が行われ、卵肉の生産量に優れた系統「NG3系」「NG4系」が誕生しており、現在の日本でも盛んに飼育されています。

古代日本より関わりが深い肉用ニワトリ:シャモ種

 シャモ(軍鶏)は、日本国内では古代、奈良時代から既に飼育されていたと言われています。本来軍鶏は、(名前を見たらわかる様に)「闘鶏用」として飼育されていましたので、後の江戸時代に闘鶏が盛んになっていた折、闘鶏のメッカと言うべきシャム王朝(現在のタイ王国)から大いに輸入されたので、シャムという言葉が訛り、シャモと呼ばれるようになりました。

 

 先述の様に、シャモ種は本来闘鶏用として用いられていたので、激しい気性・強い闘争心を持ち、腿や胸筋がよく発達しています。その腿肉や胸肉が食肉として大いに好まれ、江戸時代中期頃からは庶民の間では、「シャモ鍋」が御馳走として流行り、作家・池波正太郎氏の有名な「鬼平犯科帳」内で、登場人物たちがシャモ鍋を食べるシーンがあります。またあの幕末の英雄・坂本竜馬もシャモ鍋が好物であったと言われており、京都近江屋で暗殺される直前に、店の手代・峰吉少年にシャモ肉を買いに行かせたとも言われています。
 江戸時代より栄えたシャモ鍋文化ですが、この名残は現在でもあり、我々が普段何気なく食べている「親子丼」もシャモ鍋から誕生しました。1891年頃、江戸日本橋人形町にある鶏肉専門料理店・玉ひで(当時は玉鐵、現在も日本橋で営業中)の5代目店主・山田秀吉氏の妻・とく夫人が出前専用品として親子丼を考案したのが始まりです。

 

 シャモが与えた日本食文化への影響は大きいものでしたが、シャモは近代になると海外にも輸出され、アメリカ原産の肉用の赤色コーニッシュ種の原種となっています。国内外の鶏肉界で大きな影響を与えるシャモ、恐るべし、でございます。