ヒツジの毛(ウール)の経緯
古来より、人間が羊を畜産動物として以来、その肉・乳や皮・骨、内臓に至るまで食用など様々な生活面で重宝されましたが、『羊毛(ウール)』は(肉と同等)に現在でも大いに活用されているのは周知の通りです。それと以外に知られていないのが、『脂肪』も古来より、特に中東・中央アジア・アフリカの遊牧民では重宝されています。
今回は、『羊毛』と『脂肪』の2つの事について述べさせて頂きたいと思います。
現在は、羊肉と並んでウールの重要性は皆様のご存知の通りであり、寧ろ現在では「肉よりウール目的」の方が強くなっている節も見受けられます。
紀元前7000年にはウール目的で羊を飼育されている記録が残っていますが、当時の人々(遊牧民)は、ウール獲得を第一目的の為に野生羊を家畜化した訳ではありませんでした。飽くまでも羊肉獲得が羊の飼育の主題であり、ウールは二の次あるいは三の次でした。
ウール目的としても羊の飼育が歴史の表舞台に登場するのは、紀元前2500年〜同500年に中東で栄えたシュメール国(現:イラク)のアガット文明)・バビロニア国(現:イラク)のアッシリア文明の頃です。特に後者のバビロニアは、トウモロコシ・植物油と並んでウールは3大特産物とされていました。国名のバビロニアという国名は「羊の国」という意味を持つという説があります。
中東に次いでウールの利便性に気付いたのがアフリカのエジプト人、そしてヨーロッパのローマ人です。ローマ人は有名な大帝国を築き、中東に及ぶ今範囲へ侵略して、そこでウールの存在を知り利用され始めたのを契機となり、当時から最先端の文明を誇るヨーロッパにも拡がり、これが後世のウール目的の羊品種の誕生に繋がってゆく事になります。
元来、野生の羊の毛は『上毛』と『下毛』の2重構造で、毎年春に毛が生え変わる換毛能力を備えておりました。しかし野生羊毛は現在の様な豊満上質な柔らかい物ではなく、毛量が貧相な上、表面に生えている上毛はウールとは呼び難く、(些か物騒な言い方ですが)「死毛」と呼ばれる剛毛であり、ウール製品製作には向かない質でした。対して下毛は目こそ細く少量ですが、柔らかいのでウール製品向けでした。当初の人々は、春の生え変わりによって落ちた少量の下毛を得てウール製品を作っていました。
先述の如く大ローマ帝国がウールの重要性に目を付けて以来、世間では『もっと多くの柔らかく上質なウールを得たい』という気運が高まりました。そして紀元前2500年には、現在の羊に似たウールタイプ羊が誕生していたと伝わり、ヨーロッパから遠く離れた国・インドの最古のバラモン教「リグ・ヴェータ」という聖典(紀元前1000年執筆)の文中には、ウール獲得のために羊が飼育されている事が書かれています。
ローマでも西暦50年代には、先に持ち込まれた中東の羊とアフリカ原産の野生羊などの交配され、更にアジア・ヨーロッパ系の羊の交配も繰り返されて、より良質なウールが誕生する基礎が出来上がりました。この基礎の上に今日に至る上質なウールという功績を創り上げたのはスペイン人です。
西暦1300年代のカスティリア王国が、細目柔軟の上質なウールを持つ『メリノ種』が誕生します。これはウール史上一大革新であった事は間違いありません。後年、メリノ種が基礎となりオーストラリアなどで品種改良が施され、今日の世界最高峰のウールを産出するオーストラリアンメリノが誕生するに至るのです。
野生の羊が家畜化されたのは紀元前のメソポタミア文明の以前からであり、その長大な世紀を経て、漸く14世紀に人類は本格的なウールを得るに至ったのです。5000年以上の年月を要したのです。
羊の脂肪の重要性
現在では、『脂肪』と聞けば、肥満増大、高コレステロールという言葉を連想させ、あげく心筋梗塞や脳溢血などが思い浮かべてしまいがちですが、これは飽くまでも過重に摂取した場合であり、やはり脂肪は人間が生きてゆく必要な5大栄養素の1つであり、エネルギー源・ホルモン合成剤として活躍しています。この記事の冒頭にも述べさせて頂きましたが、中東や中央アジア、アフリカでは宗教上や環境上の理由により牛や豚からの脂肪獲得が困難なので、羊の脂肪が現在でも重宝されています。
その羊の脂肪蓄積箇所は、内臓・筋肉付近もありますが、一番の貯蔵箇所は尾部です。湾曲した尾に多量の脂肪蓄積が確認できます。この脂肪が上記の中東やアフリカといった乾燥地帯の国々では、ラクダの瘤からとれる脂肪と並んで重宝されています。